南米コロンビアの経済は過度に輸出に依存している。中でも原油と石炭は輸出全体の約59%を占め、コモディティが国を支えている。そのコロンビアの今を表す言葉は「暗殺」だ。物騒な話だが、エネルギー関係者も状況を把握しておいた方が良さそうだ。

 

 5月10日、新婚旅行で妻とコロンビア北部のバルを訪れていたパラグアイの敏腕検事、マルセロ・ペクシ氏(45)が、水上ジェットスキーに乗った男2人に射殺された。スパイ映画並みの派手な手口から「ジェームズ・ボンド・スタイル」の暗殺と言われている。

 

 コロンビアの捜査当局は、ペクシ氏がこれまで犯罪組織による麻薬の密売やマネーロンダリングなどの大規模な捜査を率いてきたことや、殺害の手口などから、ペクシ氏の仕事がらみの事件とみて、パラグアイ、米国の捜査当局と連携して捜査を進めている。

 

 地元メディアによると襲撃したのは2人だが、事件にはレバノン人2人とブラジル人1人が関与しているとされ、3人はいずれも、ラテンアメリカで暗躍するイスラム教シーア派武装組織ヒズボラと関係しているという。ペクシ氏がこれまでに逮捕した犯罪組織のメンバーの中にも複数のヒズボラ関係者がいたという。

 

 ヒズボラはレバノンのベイルートに本拠地を置く組織で、米国や一部欧州諸国がテロ組織に指定している。中東から離れたラテンアメリカでも活動しており、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ3カ国が国境を接する地域「Tri-Border Area(TBA)」を拠点に麻薬の密売やマネーロンダリングで巨額の資金を得ているとされている。TBAはイグアスの滝に近いパラナ川沿いの地域で、人やモノが集まる一方で、当局の目が十分に届かない一帯だ。ヒズボラはこの地域からラテンアメリカ全体に闇のネットワークを広げ、世界各地での破壊工作の資金集めをしていると米国当局などは見ている。

 

 検事暗殺事件はラテンアメリカの犯罪組織だけではなく、国際的な組織がかかわる事件に発展した。

 

 ここで気になるのは、ジェットスキーによる襲撃だ。乗り物による襲撃と言えばオートバイによる犯行が古典的な手法だ。しかし、ラテンアメリカでは最近、ジェットスキーが新たな道具として浮上している。

 

 今年1月25日、メキシコ・カンクンのカルメンビーチにある人気リゾートホテルに、ジェットスキーで乗りつけた2人の男が侵入し、アルゼンチン人のマネージャーを射殺した。犯行後、容疑者2人はジェットスキーで逃走した。

 

 2021年12月7日には同じカンクンのランゴスタビーチで、ジェットスキーに乗ってきた3人組が銃を乱射した。ビーチには海水浴客が多くいたが死者やけが人はなかった。容疑者3人はジェットスキーを置いたまま陸路で逃走した。

 

 カンクンでは2021年6月11日にも、工芸品を売る露天商の男性2人が撃たれて死亡、米国人女性1人がけがをする事件があった。容疑者は陸路で現れ、犯行後、ジェットスキーに乗って逃走した。

 

 2016年には太平洋側のアカプルコで、ジェットスキーを使った銃撃事件が4件あった。このころから、この種の銃撃事件のことは「ジェームズ・ボンド・スタイル」と呼ばれている。これらの事件は犯罪組織による抗争事件の色彩が強いが、観光地で起きると観光客や市民が巻き込まれ、観光産業に大きなダメージとなる。

 

 ジェットスキーでの襲撃は、実はヒズボラがイスラエルに対する攻撃で使う手口でもある。このためイスラエル海軍は、ジェットスキーによるテロ攻撃に備えた演習を繰り返し行っている。犯行の手口にもヒズボラの影が見え隠れするのである。

 

 「暗殺」の2文字は、5月29日に投票を迎えるコロンビア大統領選にものしかかっている。大統領選は元左翼ゲリラメンバーで上院議員のグスタボ・ペトロ氏(62)が終始リードし、コロンビア初の左翼大統領が誕生する可能性が高い。米国と関係が深い右派政権が続くコロンビアでは歴史的な政治状況になっている。

 

 ただ、20世紀以降のコロンビアでは、リベラル派や左派の大統領候補が5人暗殺されている。不吉な予感が国民の頭をよぎっても不思議はない。

 

 ペトロ氏の陣営によると、殺害を予告する脅しがあり、警察当局も警備のレベルを上げている。遊説でも盾を持った警備員がペトロ氏の周囲を固めている。

 

 コロンビアの大統領選では1948年4月、リベラル派のホルヘ・ガイタン候補が首都ボゴタの路上で射殺された。事件をきっかけに国内では暴力的な対立が相次ぎ、リベラル派と保守派が血で血を洗う抗争を演じた「ボゴタ暴動」のきっかけとなった。暴動ではボゴタ市内の多くの地区が破壊されたが、この対立がその後のコロンビアの「暴力の歴史」にもつながっている。

 

 1987年の大統領選では社会主義者の候補が、89年にはリベラル派の候補が、90年には左派の候補2人が暗殺されている。

 

 コロンビアには極左、極右など様々な武装組織が強い勢力を誇り、政府軍との間で軍事的対立を続けている。2016年、最大規模の左翼ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)とコロンビア政府が和平合意したが、その後もFARCの残党や別の左翼ゲリラ、極右武装組織が活動を続け、麻薬密売組織などと連携して犯罪行為を繰り返している。

 

 こうした状況下で、歴代のコロンビア政府は米国との関係を重視し、「マーケット寄り」の政策を推進した。貧富の差が広がって困窮する一般市民にはあまり目を向けなかったのである。ペトロ氏の躍進は、一般市民の不満の声が集結した結果でもある。

 

 ペトロ氏は環境重視の姿勢から、新規の原油採掘事業の中止などを公約に掲げた。これには国内外のエネルギー関係者や投資家が、非現実的でコロンビアの国家経済に甚大な影響を与えるとして反発している。

 

 29日の投票でペトロ氏が過半数の票を得れば当選が決まるが、過半数に達しなければ、6月19日に決選投票となる。現在、右派の元メデジン市長フェデリコ・グテレス氏(47)が2番手を走っており、決選投票は左右の激突になりそうだ。グテレス氏は治安問題を最重視し、暴力組織の一掃を強く訴えている。このため、犯罪組織から脅迫を受けているとされている。

 

 コロンビアを覆う不穏な空気は、一段と重苦しくなっている。

 

 

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Taro Yanaka

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 趣味は世界を車で走ること。

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