モルガン財閥の基礎をつくったJ・P・モルガン。鉄道株の大量取得にとどまらず、南北戦争下では武器取引や金(ゴールド)投機で巨利を博した。巨万の富をつかんだ一方、その手法が強引だったため、ロックフェラーやカーネギーといった大物投機家たちと同様、「泥棒貴族」とも呼ばれた。(写真はYahoo画像から引用)

 

 J・P・モルガンは1837年4月14日、米コネチカット州で生まれた。ドイツのゲッティンゲン大学で学んだ後、1857年にニューヨークの金融業ダンカン・シャーマン商会に入った。その後、まもなく独立。1861年に勃発した南北戦争で商才を発揮した。彼が24歳のときだった。

 

 当時、アーサー・イーストマンという男が連邦政府軍(北軍)から廃品同様のカービン銃5,000丁を1丁3.50ドルで買い取り、これを南軍に1丁22ドルで売却。この取引に融資して巨利を博したのがJ・P・モルガンだった。死の商人としての役割を演じたともいえる。

 

 J・P・モルガンはまた、南北戦争下で戦況によって変動する金相場の動きに注目した。ニューヨークの金取引所では、連邦政府軍が優勢になると金相場が下落し、逆に南軍が盛り返すと金相場が上昇した。

 

 マーケットでは、北軍による攻撃で拠点となるチャールストンが陥落すれば、南軍は大打撃を受け、金下落につながるとの観測が広がっていた。金価格は当時、126ドルから129ドルの間でもみ合っていた。

 

 J・P・モルガンとそのパートナーはこのとき、「チャールストンは陥落しない」という側に賭けた。結果として、彼らは数日間で16万ドルを儲けたとされる。ニューヨーク・タイムズなどのメディアは、戦局を金儲けの手段にしたモルガンたちの行為を「無遠慮な賭博者たち」と非難した。

 

 J・P・モルガンはその後、ノーザン・パシフィック鉄道の株式買占めを強行した。ただ、この買占め戦は、鉄道王ハリマンに軍配が上がった。モルガンがウォール街を支配下に収めて以来、苦杯を喫したのはこのときが初めてだった。

 

 金融帝国を築き上げたJ・P・モルガンは1913年4月に他界する。葬儀の日、ウォール街の建物には半旗が掲げられ、株式取引所が午前中の立会いを休止するなど、金融界は最大限の弔意を表したという。

 

 

在原次郎

 グローバル・コモディティ・ウォッチャー。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。