米国の移民問題が緊迫の度合いを増している。メキシコとの国境地帯、テキサス州デルリオにハイチ出身者を中心とした移民希望者が殺到し、橋の下が「難民キャンプ」の様相を呈した。バイデン政権はチャーター便を手配して移民希望者を強制送還した。

 

 この対応を「非人道的だ」として、身内の民主党内から批判が噴出したほか、国務省のハイチ特別代表が辞任し、政権内が大揺れとなった。共和党からは「移民政策が甘いからだ」と責められ、バイデン政権はハチの巣状態である。

 

 米国への移住を求めて米国・メキシコ国境にやってくる中南米の人々は、このところ大きく変化し、資源国であるエクアドルやブラジルからの数が激増している。日本のエネルギー関係者も米国の移民問題を真剣にウォッチしなければならない段階になった。

 

 メキシコのシウダード・アクニャとデルリオを結ぶデルリオ・インターナショナルブリッジの下には、多い日は約1万5000人の移民希望者が集まった。周辺はヘビなど危険な野生動物が出没する地域だ。衛生面の不安も大きく、人々はそれらを覚悟で、身を寄せ合って雨露をしのいだ。その多くがハイチ出身者だった。

 

 一部の人々は一時滞在の許可を得て、難民手続きのために米国に入国したが、希望者の数があまりに多かったことから、米国政府は手配したチャーター便で人々を空路ハイチなどに送還した。

 

 24日までに米国政府が準備したチャーター便は21便。2300人以上が乗せられた。また、米国境警備隊による逮捕を恐れた移民希望者は、自力で渡ってきたリオ・グランデ川を戻ってメキシコ側に「避難」した。

 

 25日までに橋の下から移民希望者はいなくなり、封鎖されていたデルリオ・インターナショナルブリッジは平常の手続きで通行ができるようになった。

 

 これまで、メキシコ側から陸路で米国に密入国してくるのは、メキシコ人か、中米の「ノーザン・トライアングル」といわれるグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルからの移民希望者がほとんどだった。ところが今回は様相が違っていた。ハイチ出身者以外にも、エクアドルやブラジルなど南米大陸からの不法移民の数が急激に増えている。

 

 貧困率が約60%のハイチでは、今年7月に大統領が暗殺され、極度の政情不安に陥った。8月には西部・ティブロン半島をマグニチュード7.2の大地震が襲い、多くの国民が住居を奪われた。犯罪組織がはびこり、治安の悪化は慢性的で、生活しているだけで生命の危険にさらされる人々は故郷・ハイチを後にした。

 

 ただ、今回、米国国境を目指したのは出国したてのハイチ人だけでなく、チリやブラジルで暮らしていたハイチ出身者が多くいた。

 

 ハイチでは2010年に首都・ポルトープランスが大地震に見舞われ、壊滅的な被害を受けた。これをきっかけに多くのハイチ人が移住のため南米を目指した。

 

 当時、南米は地下資源や農産物などのコモディティーブームで景気が良かった。南米経済の優等生であるチリや、大国ブラジルは多くのハイチ人の移住先となった。

 

 南米のコモディティーブームは、2013年を境に陰りが出始めたが、ブラジルでは2016年のリオデジャネイロ・オリンピックが景気をけん引した。リオデジャネイロ市内に点在する「ファベーラ」と呼ばれるスラム街の住民でも、車を2台所有する世帯が出現するほど、経済は順調だった。

 

 ハイチ出身者はそんな中で、なんとか仕事を得て暮らしていた。しかし、コモディティーブームの衰えは南米全体に広がり、リオデジャネイロ・オリンピックが終わってブラジル経済も悪化の一途をたどった。

 

 そして新型コロナウイルスが世界を襲った。

 

 ラテンアメリカとカリブ海諸国は「Informal Economy (非公式経済)」が社会を支えている。路上での物品販売や農場での季節労働など、社会保障の対象とならない仕事をする人々が経済のかなりの部分を支えている。

 

 「非公式労働者」の割合はボリビアが約85%、ペルーが約69%、エクアドルは約64%、ブラジルは約47%にのぼる。「組織だった国」であるチリでも約25%で、4分の1は「非公式労働者」である。

 

 「非公式労働者」は新型コロナが拡大しても、街に出て働かなければ収入がなくなる。国や自治体の外出規制を守っていたら生きてはいけず、仕事のために外出した。これが一段の感染拡大につながった。このため経済へのダメージは世界レベルをはるかに超えた。

 

 昨年のGDP(国内総生産)の縮小率は世界全体では約3%だが、ラテンアメリカとカリブ諸国は約7%にのぼる。労働者の収入の下落率は、世界平均が8.3%だったのに対し、ラテンアメリカは倍以上の19.3%だ。

 

 真っ先に影響を受けたのは移民だった。ハイチ出身者はチリやブラジルを追われ、バスや徒歩で北上し、米国との国境までたどりついた。

 

 ハイチ出身者の米国への不法入国は急速に増加。昨年10月から今年8月までの逮捕者のうちハイチ出身者は2万8000人にのぼった。昨年1年間のハイチ出身者の逮捕者数は4400人だったため、6倍以上の増加となる。

 

 この6カ月で米国への移民希望者で急激に増えたのは、ハイチのほか、エクアドル、ブラジル、ニカラグア、ベネズエラ、キューバの6カ国だという。

 

 昨年、メキシコに出国して帰国しなかったエクアドル国民は3000人いた。最近は1カ月で1万人が戻らないという。ほとんどが米国に向かったとみられている。

 

 アフガニスタンからの米軍撤退で混乱を引き起こし、メキシコとの国境での移民問題が混とんとなったことで、バイデン政権の支持率は急落した。Pew Research Centerの今月の世論調査では支持率は44%。2カ月前より11%下落した。

 

 ラテンアメリカ経済に翻弄される移民の動向が、バイデン政権の喉元に刃物を突き付けている。

 

 

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Taro Yanaka

 街ネタから国際情勢まで幅広く取材。

 専門は経済、外交、北米、中南米、南太平洋、組織犯罪、テロリズム。

 趣味は世界を車で走ること。

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