ジョン・D・ロックフェラーの次なる野望は、石油産業における上流・下流部門の完全支配だった。石油輸送から精製及び製品販売(下流部門)は当時、ロックフェラーが率いるスタンダード石油が牛耳っていたものの、原油生産(上流)部門への進出は手つかず状態だった。(写真はYahoo画像から引用)

 

 米国では1870年代以降、巨大油田が次々と発見された。これにともない、原油増産が相次いだ。このため、パイプライン会社の貯蔵能力は足りなくなり、原油の引き取りを制限せざるを得なくなった。引き取りを希望する生産会社に対しては、即時引き渡し方式が採用された。この方式では預り証は発行されず、現金が支払われた。

 

 ここでロックフェラー側に問題が生じた。即時引き渡し価格が石油取引所の価格を下回っていたことだ。売り手側(生産者)がイニシアチブをとったため、買いたたかれるケースが目立った。パイプライン会社がスタンダード石油の所有であり、即時引き渡し方式によって格安の原油を手に入れたのもスタンダード系の製油所であったため、原油生産者たちにとり「スタンダード(製油所)の利益のために、不正な手段を弄して買いたたいていると映った」(『石油を支配する者』瀬木耿太郎著)。

 

 原油生産者たちはスタンダード石油を提訴したが、約1年後にパイプライン会社が貯蔵タンクを増設して、原油引き取り量を増やすことを約束し、ようやく和解が成立した。

 

 他方、米国以外でも石油産業は盛んとなった。1870年代にカスピ海沿岸のバクーで石油生産が始まったロシアでは、80年代半ばに生産が急拡大。ロスチャイルド家がバクーから黒海まで鉄道を敷設したので、輸送手段が大幅に改善された。

 

 こうした状況下、スタンダード石油は1889年、原油生産に乗り出すことを決定した。ただ、探鉱事業を自ら行うのではなく、買収で手中に収める手法をとった。翌年から91年の2年間でペンシルベニアの油田地帯で買収を繰り返していった。その結果、原油生産で全米におけるスタンダード石油のシェアは92年に24%、95年に35%、1898年には38%に達したという。

 

次回に続く・・・。

 

 

在原次郎

 グローバル・コモディティ・ウォッチャー。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。