ノーベル平和賞受賞の米国人農学者、ノーマン・ボーローグは20世紀半ば、メキシコで小麦の品種改良に取り組み、小麦輸入国であった同国を輸出国に転換させたほか、多くの途上国で飢餓問題の解決に向けて尽力した。(写真はYahoo画像から引用) 

 

   ボーローグは1914年3月、米アイオワ州で生まれた。父親は農場を営んでいた。ミネソタ大学を卒業した後、米農務省(USDA)に入省。第二次世界大戦が始まる前のことだった。

 

 1944年、ボーローグはメキシコ市内にあるトウモロコシ・小麦研究センターで当地の研究者らとともに小麦の新種開発に取り組んだ。交配を繰り返しながら新種「Sonora 64」を育成した。品種改良によって、メキシコでは小麦生産量が(品種改良前の)2~3倍となり、同国を輸入国から輸出国に転換させるまでになったという。新種は「奇跡の小麦」と呼ばれた。

 

 ところで、ボーローグの新種小麦は日本の小麦品種とかかわりがあった。その開発プロセスで日本品種(農林10号)が使用されたことで知られる。海外では「Norin 10」として有名だそうだ。

 

 『小麦の話』(西川浩三・長尾精一共著)によると、この品種は岩手県農事試験場で、ターキー・レッドとフルツ達摩の交配から選抜、固定され、昭和10年(1935)に奨励品種に指定された。農林10号は草丈が短いが、穂が大きく多収性であるほか、冷害、黄サビ病などに強く、倒伏しにくいという特長があった。

 

 ボーローグの新種はメキシコ国内にとどまらず、インドやパキスタンでも導入された。結果として、これら2カ国でも小麦の収量が飛躍的に増えた。さらに中米や中東、アフリカ諸国まで広がり、多くの人たちを飢餓から救った。

 

 こうした功績が認められ、1970年にはノーベル平和賞を受賞するなど、「緑の革命」の父と称されるようになった。授賞式で「飢饉に立ち向かう戦士として生涯を捧げる」とスピーチしたボーローグ。2009年9月12日、がんによる合併症が原因で米テキサス州ダラスで死去した。95歳だった。

 

在原次郎

 グローバル・コモディティ・ウォッチャー。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿