アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンは15日、同国の首都カーブルを制圧した。カーブルを包囲するタリバンが、いずれ何かしらの軍事行動を起こすことは誰しも予想していたが、このようなあっけない幕切れは専門家にとっても予想外だっただろう。アフガニスタンから米軍の撤退を進めたバイデン政権もこのような結末を予期していなかったというとで、見通しの甘さを激しく追及されている。(写真はYahoo画像から引用)

 

 「イスラム法」に基づく過酷な統治を行ってきたタリバンのかつてのような支配が復活するのか、アフガニスタン内外で懸念される。タリバンは、イスラム原理主義を旨とする勢力と紹介されるが、その実は「パシュトゥン・ワリ」などと呼ばれる「パシュトゥン人の掟」を最も重視している。アフガン研究者が、タリバン関係者から聞いたとされる「我々の聖典の半分はコーランで、もう半分は我々自らが書いている」という言葉*は、パシュトゥン人とイスラムの関係をよく表している。

 

 タリバンは、過去にパシュトゥン部族の伝統・秩序に基づく国造りを行い、その復活を目指す。タリバンが復活させようとしている「首長国」とは、そのようなパシュトゥン部族の勢力均衡によって成り立つ国だ。来るタリバン支配の中でも、最も懸念されるのが女性の地位である。これについては、過去のような全ての権利を剥奪された状態に回帰するという悲観論と、アフガン社会は変わったという楽観論がある。

 

 1970年代、カーブル市内を歩くミニスカートの女性の写真が、タリバン支配以前・以後を比較するものとしてよく参照される。しかし、この当時、このような「自由」を享受できたのは、都市の一部の階層だけであり、アフガニスタンの大半を占める農村部では、女性の自由、権利はないに等しかった。タリバンも、前述のパシュトゥン人の掟に従い、以前と変わらぬ女性のあり方を法的に定めたに過ぎない。

 

 タリバン政権崩壊から20年、農村部にも女性の社会進出が進んだことは事実だ。国全体で見ればごく少数であろうが、イスラム国と戦うために 武器を取った女性たち、また軍に志願した女性タリバンに対し武器を取る女性も出現している。タリバンの復権は、ようやく始まった女性の社会進出に対する、かなり大きな障害になることに疑問の余地はない。ただ、女性が既に社会活動の一端を担うようになった地域で、その全てから女性を排除できるかも疑問だ。タリバンが、今後復活させるであろう首長国制の下では、女性への扱いもそれぞれの地域に委ねられるのではないかと思われる。

 

 タリバンが伸長した主な原因は、ひとえに米国の後押しで樹立された北部同盟中心の政府の体たらくであった。北部同盟、正式には「アフガニスタン救国・イスラム統一戦線」は、反タリバンの軍閥、ウズベク人など少数民族勢力の寄り合い所帯である。政府の無能ぶりは、タリバンのカーブル入城に怯えたガニ大統領の逃亡で政権崩壊したことでも明らかだ。

 

 地方の治安維持の中核を担うのは旧軍閥である。軍閥の多くは、タリバン以上に冷酷無比で、秩序維持にも無力であった。こうした軍閥が多くの少年を「性奴隷」扱いしたことも社会問題となっていた。軍閥や有力者の性奴隷として扱われた少年の中には、復讐のためタリバンの自爆兵になった者も多いとされる。前時代的であっても、タリバン支配による秩序を選ぶ民衆が多いことは想像に難くない。かつてタリバン自体がこうした軍閥による無秩序を打破するため、武装闘争を開始したのである。

 

 また、米国の失敗の根本原因は、ブッシュ元政権が開戦前に信頼できるパートナーを見出すことができず、その後の占領統治の過程でも有力な味方を育成することもできなかったことに起因する。米軍の撤退が続くイラクも米国の失敗とされるが、サダム政権の崩壊で北部のクルド人が確固した地位を築き、米国の信頼できる同盟相手となったことは成果といってよい。

 

 シリアのクルド勢力は、イラクのそれよりさらに力量があり、信頼できる仲間となった。米国の対イスラム国戦争は、クルド人のおかげで一応の成功をみた。今回、カーブル国際空港に国外脱出を求める人が殺到する光景が、ベトナム戦争末期、サイゴン陥落間際の米使館屋上からの脱出劇になぞらえられている。ベトナムでの米国の失敗も、腐敗し民心を失った南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権に肩入れしたことにあった。

 

 タリバンの権力奪取で懸念される点は、攻勢の過程で今後その支配に対抗しうる勢力すら残らなくなってしまったのではないかということだ。かつての北部同盟司令部のあった拠点は早々に陥落した。北部の要衝マザリ・シャリフは、前回のタリバン政権発足から2年もの間持ちこたえたが、今回はカーブルに先立ち陥落した。同市は、かつてのアフガン内戦時、タリバンが掌握する以前は軍閥ドストムの支配下で、女性がベール無しで街を歩けたほか、酒の販売も行われていた。

 

 ガニ政権が、「戦争犯罪人」の汚名も気にせずドストムを前線に復帰させようとした時にはもう遅かった。米軍の性急な撤退はタリバンによる全国制覇の露払いとなった。

 

 

*『アフガニスタンの歴史と文化』 (世界歴史叢書)  ヴィレム フォーヘルサング  (著)


 

 

Roni Namo

 東京在住の民族問題ライター。大学在学中にクルド問題に出会って以来、クルド人を中心に少数民族の政治運動の取材、分析を続ける。クルド人よりクルド語(クルマンジ)の手ほどきを受ける。日本の小説のクルド語への翻訳を完了(未出版)。現在はアラビア語学習に注力中。ペルシャ語、トルコ語についても学習経験あり。多言語ジャーナリストを目指し修行中。