ガソリン車が普及していくプロセスで、自動車を実用品にした男が出現した。ヘンリー・フォードだ。自動車産業の発展はタイヤ工業の隆盛につながった。(写真はYahoo画像から引用)

 

 ヘンリー・フォードが自動車会社「フォード・モーター・カンパニー」を設立したのは1903年だった。当時、ダイムラー、ベンツなど、すでに1,500を超える会社が自動車工業に進出を果そうとしていたときで、フォードは決して先駆者ではなかった。

 

 フォードは創業当初、A型と称する自動車を売り出した。その後、B、C、F、K、N、R、S型と改良していった。高額だった生産車を安価な車の製造に切り替えることで、大衆からの支持を得られるようになったという。

 

 創業から5年、転機が訪れる。1908年、T型フォードの生産によって発売から4年で年産4万台を突破したのだ。成功の要因は自動車を贅沢品から必需品に変えるという発想に加え、それを可能にするための大量生産方式の採用だった。T型フォードは耐久力、操縦性、経済性において他社を圧倒。特に850ドルという販売価格は大衆に支持された。

 

 1913年には、ベルトコンベアーによる組み立てライン方式が完成した。その結果、T型フォードの販売価格は600ドル、360ドルと値下げされていった。20年近く、モデルチェンジを行わず、この間に1,500万台以上を製造した。

 

 フォードは一時、米国における自動車生産で全体の6割を占めたが、1927年にT型の製造を中止した。ユーザーから飽きられたのが主因だったようだ。この年、ゼネラル・モーターズ(GM)のシボレーに首位の座を奪われた。

 

 世界における自動車総数は1914年に200万台、1920年に1,200万台、1926年に2,450万台、1935年には3,300万台と、年を追うごとに増加の一途を辿った。自動車工業の隆盛に比例してゴム工業も巨大産業としての地位を築いていったのは周知の通りだ。

 

 ところで、フォードは多くの名言を残したことでも知られる。「成功」について語ったとされる言葉を以下、ピックアップする。

 

 「たいていの成功者は他人が時間を浪費している間に先へ進む。これは私が長年、この眼で見てきたことである」

 

    「成功の秘訣は、何よりもまず、準備することだ」。

 

 

在原次郎

 ジャーナリスト。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。