ゴム産業の発展過程で大きな役割を果した一人が「ゴム工業の父」と称されるトーマス・ハンコックだ。彼はゴムをロールで練り、加工性をよくするマスティケーション(素練り)技術を確立した。この工程は現代でも受け継がれている技法という。(写真はゴムの木、Yahoo画像から引用)

 

 ハンコックは1786年、英国のウィルトシャー州マールボロで生まれた。ただ、幼少期の記録は殆ど残されていない。「ゴムというこのとてつもない材料を使って、何ごとかをしなければならぬ」(中川鶴太郎著『ゴム物語』)と一念発起したハンコックは「ゴム」を一生の仕事として考えるようになったようだ。

 

 ハンコックはまず、テレピン油を使用してゴム引き布の製造にトライしたが、失敗に終わった。試行錯誤の後、ゴム自体を細い糸にして織り込む、もしくはゴムそのものをバンドにして利用することに思いつき、方針を転換した。結果として1820年に特許を取得できた。ハンコックはその後、1847年までに計16の特許を取得したという。

 

 ハンコックはゴム入りガターやズボン吊りで成功したが、それらは彼が実用化した先駆的な加工技術によるものだった。代表的な技術がマスティケーション(素練り)と呼ばれる技術だ。ゴムの分子を適当に裁断し、練り上げてその後の成型性をよくするという手法である。

 

 一方、ゴムの実用化で避けて通れない課題もあった。それは生ゴムの温度に対する特性上の欠陥である。ゴムの弱点は夏にベタ付き、冬に硬化してしまうという性質だ。これを解決したのが加硫法だった。特性上の欠陥を克服する上で重要視されたのが添加物だ。ハンコックはそれが「硫黄」であることを突き止めた。

 

 ハンコックのほか、チャールズ・グッドイヤーらゴム開発の先駆者たちの尽力によって、工業原料としての実用性弾性ゴムは加硫という手法によって誕生した。

 

 その後、世の中では「ゴム・ブーム」が到来する。ゴム需要の急増にともない、ゴムが投機の対象にもなり、価格が高騰した。1849年から1850年代にかけてのことだった。

 

 ゴムは当時、「ブラック・ゴールド」(黒い黄金)として珍重された。1827年から1858年の間に主産地である南米アマゾンのゴム生産量は31トンから2,600トンへと、飛躍的に伸びたという。

 

在原次郎

 ジャーナリスト。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。