商品先物取引と聞いて、梶山季之著『赤いダイヤ』を思い浮かべる読者も多いのではないだろうか。小豆相場の仕手戦を描いた小説だ。この作品によって先物取引のダイナミックさが社会に知れ渡った一方で、投機性の強い、危険な取引といったネガティブなイメージが定着してしまったことも否めない。(画像はyahoo画像から転載)

 

 赤い魔物=小豆をめぐる相場師たちの投機に賭ける情熱を描いた作品が『赤いダイヤ』である。ストーリーは事業に失敗した主人公、木塚慶太が千葉の海に身を投げて自殺しようとするところから始まる。そこで偶然、大陸浪人上がりの稀代の相場師、森玄一郎に命を救われ、値動きの荒い小豆相場に足を踏み入れていくことになる。買い方の森玄に対し、売り方の大物相場師、松崎辰治。投機をめぐる双方の駆け引きが見事に活写されている。

 

 ところで、『赤いダイヤ』の誕生秘話について画家の小林秀美氏が梶山季之追悼文集『積乱雲とともに』に寄せている。あるスポーツ紙に連載していた芥川賞作家が入院することになり、そのピンチヒッターとして新人作家の梶山を起用するとの案が持ち上がったという。昭和36年、編集者と一緒にその依頼に駆け付けたのが小林氏だった。

 

 当時、梶山も体調を崩し、芝白金の北里研究所附属病院に入院中だった。入院先を訪ねると「病室のベットにデンと机を置き、鉢巻姿で原稿用紙に向かっている梶山季之さんと会ったのである」(小林氏)。用件を話すと、梶山は即座に快諾したそうだ。前々から構想を練っていたようで、4日後の連載開始に対し、梶山は2日後に10回分の原稿を届けたという。予定通り、連載は開始された。

 

 実は、この小説のモデルとなった人物が実在する。買い方の森玄一郎は、甘栗業界最大手の甘栗太郎の創業者、柴源一郎氏である。売り方の松崎辰治は、相場の神様と言われた山種こと、山崎種二氏だ。かつて柴氏を取材した鍋島高明氏は著書『市場雑感』で「梶山さんは三、四回取材に見えましたが、さすがに小説家ですね。ただし、わたしに彼女がいたことになっていますが、あれはフィクションです。おかげで家内に痛くもないハラをさぐられて―」と、エピソードを紹介している。

 

 梶山は昭和50年5月11日、取材先の香港で不帰の客となる。行年45歳。天台宗僧侶で作家の今東光が付けた戒名は「文麗院梶葉浄心大居士」。

 

 

在原次郎

 コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。