米バイデン政権が20日に発足する。新型コロナ対策と共に、真っ先に手をつけるのが移民問題だ。トランプ政権の移民政策の強硬路線から180度転換し、「移民に優しい」政策に戻す。暴力と貧困から逃れるために米国に向かいながら、申請さえたどりつけずにメキシコ側で待つ中南米からの亡命希望者の生活は極めて劣悪で、対応は人権上からも待ったなしだ。しかし、新型コロナの感染拡大が深刻化し、移民が同時期に大量に入ってくることは新政権としても避けたい。新政権の看板政策なのに既に手かせ、足かせをはめられている。政策の運び方次第では多方面からの批判にさらされそうだ。

 

 バイデン氏はケネディに次いで2人目のカトリック教徒の大統領となる。世界のカトリック教徒の約40%は中南米に住んでおり、ラテンアメリカはカトリックの最大勢力である。バイデン氏はオバマ政権時代に足繁く中南米を訪問し、ラテンアメリカからの信頼も厚いが、移民政策は政治家としの信念だけでなく、カトリック教徒としての信仰心からも力が入る。

 

 そのバイデン氏が移民政策で最初に試されるのは、トランプ政権が導入した「移住者保護協定=Migrant Protection Protocols (MPP)」の早期廃止だ。名称こそ移民のための決め事のようにしてあるが、別名は「Remain in Mexico Program 」と言われ、米国への亡命希望者をメキシコ側に押し返し、亡命のための裁判所のヒアリングを待たせるという政策だ。この協定が米国とメキシコとの間で結ばれる前までは、亡命希望者は米国内でヒアリングを待っていた。しかし移民を敵視したトランプ政権は「それもまかりならぬ」というスタンスだった。

 

 2019年1月から施行されたが、協定について話し合われ始めたころから、人権団体などが強く反発していた。

 

 今月初め、国際的な人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(本部・米ニューヨーク市)がMPPによる人権侵害の実態をまとめたリポート(タイトル「もう限界」)を発表した。スタンフォード大学の精神衛生の研究機関などとともに調査したが、この時期での発表は、バイデン政権にMPPの即時廃棄の実行を強く促す狙いがある。

 

 リポートによると、MPPにより、これまで6万9000人以上の亡命希望者が米国を追い出され、米国との国境に接したメキシコの都市(ティファナやシウダード・ファレス、メヒカリ、ヌエボ・ラレド、マタモロスなど)にあるシェルターに収容された。

 

 各都市ともメキシコのギャング組織がはびこり、犯罪が満ち溢れている。治安の悪いメキシコの中でも国境の町は一段と治安が悪い。メキシコの米サンディエゴと接するティファナや米エル・パソと接するシウダード・ファレスなどは、世界で最も危険な都市として、様々な調査で常に上位(調査によってはトップ)に位置づけらられる。

 

 亡命希望者はレイプなどの性的犯罪、身代金目的の誘拐、ゆすり、たかり、銃を突き付けられての強盗の絶好の標的となり、日々、苦しめられる。そして役人の腐敗が追い打ちをかける。

 

 リポートに登場するベネズエラ人の女性は、幼い子供2人と亡命を求めたが米国を追い出され、シウダード・ファレスに行かされた。子供と共に恐ろしい思いをして、シウダード・ファレスから知人のいる別の町にバスで逃げようとしたところ、メキシコの移民局の職員にたかられ、なけなしの2500ペソ(120米ドル)を差し出した。

 

 暴力と貧困から逃れようと、必死の思いで米国に助けを求めた人々が、米国から見放され、メキシコで暴力と汚職の餌食となり、すべてをしゃぶり尽くされる。

 

 リポートのタイトル「もう限界」は移民の心からの叫びであり、絞り出せる最後の言葉である。

 

 

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【米国とメキシコの国境。向こう側はメキシコのティファナ=米サンディエゴで】

 

 

 米テキサス大学オースティン校の研究組織「シュトラウスセンター」によると、MPPによってメキシコに追いやられた亡命希望者の35%がホンジュラス出身、24%がグアテマラ出身、12.5%がエルサルバドル出身だ。

 

 この3カ国は中米の「Northern Triangle」(北部三角地帯)と言われる。西半球で最も貧しい地域で、暴力、汚職が蔓延し多数の国民が国を捨てた。この3カ国から米国に入った不法移民が米国で犯罪組織を結成し、薬物や銃の密輸や誘拐、人身売買、殺人、資金洗浄など様々な犯罪に手を染めている。

 

 その代表格が「マラ・サルバトルチャ」。エルサルバドル出身者が中心となった組織で「MS-13」と呼ばれている。1970年代にロサンゼルスで活動を始めたが、エルサルバドルの内戦が激しくなった90年代初頭から勢力を伸ばした。

 

 今では全米、カナダ、メキシコなどを活動場所としている。当初のストリートギャングはメキシコの犯罪組織とも提携し、かつてのイタリア・マフィアを上回る犯罪組織に成り上がった。

 

 トランプ政権は中南米からの移民と、こうした犯罪組織を直接的に結びつけ、「移民は悪」とのレッテルを張った。

 

 米国はかつて中南米を「裏庭」ととらえ、「反共の砦」を御旗に内政干渉を繰り返した。独裁者を操り、暴力を容認して国民を苦しめた。その歴史が、今の中南米の貧困につながっている。トランプ政権はその歴史を一切無視し、移民を拒否することで米国民のナショナリズムをかき立てた。

 

 バイデン氏が副大統領を務めたオバマ政権は、米国のかつての覇権主義を正面からとらえて移民政策に臨んだ。難民を生む貧困を作り出した「米国の責任」を認識してのことだ。バイデン政権の中南米、移民政策はオバマ政権の内容を踏襲される。

 

 ただ、トランプ政権の4年は米国の常識を大きく変えた。「移民に優しい」米国を取り戻すには、新型コロナ以外にも「変質した国民感情」という難題が立ちはだかる。

 

 

Taro Yanaka

街ネタから国際情勢まで幅広く取材。

専門は経済、外交、北米、中南米、南太平洋、組織犯罪、テロリズム。

趣味は世界を車で走ること。