米ニューヨークの人気雑誌「ニューヨーク・マガジン」(12月7、20日合併号)のグルメコーナーに小さなデリ(食料品店)が作るカップ麺が登場した。普段、ニューヨークらしい最先端のメニューが紹介されるこのコーナーでインスタント食品が主役となるのは稀なことだ。読者にとっては、ちょっとした驚きだった。「ビリアラーメン」と名付けられたこのラーメンは、既成のインスタントラーメンに「ビリア」と呼ばれるメキシコ料理の肉と、紫玉ねぎのみじん切り、香草を添えただけのお手軽なメニューだ。スパイシーで温かいこのラーメンが、新型コロナの蔓延でステイホームを強いられるニューヨーカーの心をつかみ、新たな持ち帰りグルメとして注目を集めているという。デリはコロナ禍のこの秋にオープンしたばかり。たかがラーメン、されどラーメン。日本人からすると「ぶっ飛んだ」感じがするラーメンだが、ポスト・コロナに向けた庶民の胎動そのものでもある。

 

 デリの名は「ネネズ・デリ・タケリア」。ブルックリンのブッシュウィック地区に誕生した。偶然ではあるが、ニューヨークに進出した日本の有名豚骨ラーメン店から歩いて10分程度の場所にある。

 

 時代の先駆者として走り続けるニューヨークには洗練された店が並ぶ一方で、個人経営の小規模なデリがいたるところにある。飲料水や食料品、食品雑貨の販売が主だが、ハンバーガーやサンドイッチなどをその場で作ってくれる店もあり、店によって規模やサービスの範囲は違うが、庶民の生活には欠かせない。ラテン系住民が経営するデリは「ボデガ」とも呼ばれる。「タケリア」とはメキシコ料理専門店のこと。「ネネ」は米領プエルトリコの方言で「少年」を意味する。店の名前を直訳すれば「少年のデリ・アンド・レストラン」となる。

 

 店名の通りと言えるだろうか、オーナーのガリンド・マリア氏は26歳。ニューヨーク生まれのメキシコ系米国人だ。ジャン・ジョルジュやアイ・フィオリ、オセアナなどミシュランの星を獲得したニューヨークの超高級店で、料理人の1人として働いてきた。この先も高級店で働き、有名シェフになることを目指してきたが、新型コロナが人生を狂わせた。

 

 感染防止のためにレストランの屋内営業が禁止されたことに加え、金融界などで働く富裕層が街から消えてしまったため、高級レストランの経営は立ち行かなくなった。持ち帰りなどで事業を続ける店はあるものの、多くの高級店は休業している。

 

 マリア氏はコロナ禍がニューヨークを直撃する直前の今年2月から、メキシコ・プエブラにある祖母の農場を手伝うためニューヨークを離れていた。約半年後に戻ったところ、ニューヨークに料理人の求人はほとんどなかったという。

 

 雇用情勢が想像以上に厳しく愕然としたが、マリア氏は迷わず路線を変えた。有名レストランとは正反対の「超」が付くほど大衆向けの店を経営し、自分の腕を振るおうと考えた。

 

 タコスやブリトー、トルタスなど一般的なメキシコ料理のメニューが並ぶが、きらめくライバルたちに勝つために、すべてのメニューに独自のテイストを盛り込んだ。それがビリアである。

 

 ビリアはメキシコのシチュー料理。メキシコ第2の都市、グアダラハラがあるハリスコ州が発祥と言われるが、広くメキシコで食べられている。肉は主に牛やヤギ、ヒツジを使用するが、アドボと呼ばれるつけ汁に浸して、しっかりと肉を味付けするのが特徴だ。アドボは酢や塩、ニンニク、オレガノ、パプリカなどを材料とし、アドボ次第で肉の味が大きく変わる。

 

 ビリアはシチューとして食べるだけでなく、肉をほぐしてタコスやトルティーヤなどにはさんだり、くるんだりして食べる。

 

 米国にはメキシコ料理店は大小、星の数ほどあるが、ビリアはこの3、4年、グルメ界で注目のメニューなのである。

 

 最初にビリア人気に火が付いたのはカリフォルニア州だった。隣接するメキシコ・バハカリフォルニア州の牛肉のビリアがヒットし、シリコンバレーのあるサンフランシスコなどでも注目された。「Cal-Mex」と呼ばれるカリフォルニアスタイルのメキシコ料理の新メニューとして、舌の肥えた西海岸の市民に受け入れられた。

 

 こうした流れがニューヨークなどの東海岸やテキサス・ヒューストンなどの南部にも押し寄せてきた。マリア氏はポスト・コロナをこのビリアで勝負することにしたのだ。

 

 特にラーメンは独創的だった。使用しているカップ麺はカリフォルニア州の調味料会社、タパティオ・ホット・ソースが2年前に発売し、全米で人気急上昇中のインスタントラーメンだ。唐辛子を原料とした調味料がベースで、ビリアの味と相性が抜群なのだ。

 

 タパティオが商品の発売で手を組んだのが韓国系の企業だった。韓国とメキシコのフュージョン食品として当時、話題となった。両社とも女性がプロジェクトを主導したことで、商品のイメージアップ効果も抜群だった。

 

 インスタントラーメンの本家本元の日本からすると、やや口惜しさが残るが、ラーメンの裾野の広さを思い知らされる絶好の機会になった。考えるより、行動を起こすことを善とする米国で、日本人は何度も辛酸をなめてきたが、インスタントラーメンで旨味をさらわれるのは、悔しさもひとしおである。

 

 実はマリア氏のデリのビリアラーメンは、店頭に置いた黒板のメニューには載っていない。隠れメニューであるところが、ニューヨーカーの気持ちを掻き立てるようだ。ビリアラーメンは8ドル。テキサス州などでもビリアとタパティオカップ麺を組み合わせるフードトラックが現れ、ビリアラーメンはポスト・コロナの食のトレンドとしてつながりそうである。

 

 新型コロナで大打撃を受けた米国だが来年6月までに人口の約半数がコロナワクチンを接種するといわれる。また、感染などで全体の30%が自然と免疫ができるという。元の生活に戻るのは容易ではないが、ポスト・コロナがすぐそこに来ているのも確かである。マリア氏のような一人一人のポスト・コロナの試みが新しい経済を生むことになる。

 

 

(IRuniverse)