かつて石炭が世界のエネルギーの主役を担っていたころ、世界中の炭鉱には、かごに入れられたかわいらしいカナリアがいた。カナリアは人間よりも有毒ガスに敏感だ。一酸化炭素やメタンガスが炭鉱内で発生した場合、カナリアは人間が感じる前に体調を崩し、場合によっては死に至る。カナリアに異変が起きれば坑内の労働者は急いで現場から離れた。カナリアは自らの命に代えて、エネルギー供給の最前線で働く人間を守った。

 

 英語で「canary in a coal mine」は「警告」という意味で使われる慣用句だ。金融の世界でも、株価下落や景気の変動のリスクを示す指標を「炭鉱のカナリア」と呼ぶ。

 

 石炭はその後、エネルギーの主役の座を石油に奪われた。今、石炭も石油も地球温暖化を引き起こす化石燃料として「悪役」を演じることが増え、リチウムなど持続可能な世界を可能にするとされる鉱物が華やかなスポットライトを浴びている。

 

 しかし、その現代にもカナリアのように悲しい運命をたどる鳥がいる。ピンク色の羽と長い足、ほっそりとした首で知られるフラミンゴだ。地球環境を守るためのリチウム開発がフラミンゴを痛めつけている。

 

 世界最古の科学学会である英国王立協会は3月9日、「リチウムトライアングルにおける気候変動とリチウム採掘によるフラミンゴへの影響」と題するリポートを公表した。チリ、ボリビア、アルゼンチンに広がる世界有数のリチウム産地、リチウムトライアングルにある塩原のこの30年の環境変化と、リチウム採掘による環境への影響をまとめているが、この地に生息するフラミンゴに深刻なダメージを与えていることを明らかにした。

 

 調査チームはリチウムトライアングルにある5つの塩原を対象に調べた。フラミンゴは北米、中南米、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど広い範囲に生息する。6種類に分類されるが、そのうちのアンデスフラミンゴ、コバシフラミンゴ、チリフラミンゴの3種類はリチウムトライアングルとその周辺に生息している。

 

 チリのアタカマ塩原では、11年間でコバシフラミンゴの生息数が約10%、アンデスフラミンゴが約12%も減少したという。

 

 リチウム採掘には大量の水が必要となる。この地でリチウム1トンを採掘するには約170万リットルの水が必要だ。リチウムトライアングルは世界でも最も乾燥した地帯で、ここでのリチウム採掘は大量の地下水が必要となる。これにより塩原の水の急減を招いているという。

 

 塩原の水は地球温暖化により、すでに減少が続いていた。調査した5つの塩原は1984年に比べて、少なくとも30%面積が縮小している。温暖化で水が蒸発した上に、リチウム採掘で水源である地下水が減少しているからだ。

 

 塩原の水が減少すると、水の塩分濃度は上昇する。これにより水中の動植物が生息できなくなる。

 

 ブラインシュリンプと呼ばれる甲殻類や藻などが塩原には生息するが、いずれもフラミンゴの重要なエサである。塩分濃度の上昇でこれらの水中生物が急減し、フラミンゴは他の地に活路を見出すか、この地で飢え死にするという選択を迫られている。

 

 フラミンゴは塩原の生態系の要をなす生物で、フラミンゴの減少は塩原の生態系の崩壊に直結する。リチウム採掘が塩原の生物の多様性を破壊していることになる。

 

 フラミンゴの減少は地域の経済問題でもある。リチウムトライアングルの一帯は「グリーンツーリズム」が主産業になっている。塩原は他に類を見ない景色が広がり、その風景とフラミンゴを見るために、世界から多くの観光客が集まる。新型コロナの影響で、この1、2年、観光客はほとんど訪れなかったが、コロナ後の経済立て直しと、地域の将来的な収入を考えるとフラミンゴの減少は地元住民の生活の糧を減らしていることと等しい。

 

 湖や池が干上がるということは、よほどのことと誰でも思うが、チリではありえないことではない。アタカマ塩原から南に1200キロ。首都サンチャゴから車で1時間ほどのところにアクレオ湖という湖があった。地図では通常の湖のように青色で表示されているが、現在、アクレオ湖は完全に干上がっている。

 

 アクレオ湖は3000年以上、豊富な水をたたえていた。20世紀後半以降、地球温暖化によるとみられる雨量の急減で湖の規模が縮小した。それでも2011年には広さ12平方キロメートルあり、水深は深いところで6メートルあった。湖にはサーフボードやヨットを楽しむ人々の姿があった。しかし、それから7年後の2018年5月、完全に干上がってしまった。

 

 この地域の雨量は1980年のころの半分以下に減少した。周辺にはアボカドなど果樹園を営む農家が急速に増え、アクレオ湖に流れ込む川の水や地下水をふんだんにくみ上げた。湖はあっという間に姿を消してしまった。

 

 カラカラに乾いたアクレオ湖の姿を見ると、リチウム採掘でフラミンゴの楽園が消滅する姿を容易に想像できてしまう。

 

 

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Taro Yanaka

 街ネタから国際情勢まで幅広く取材。

 専門は経済、外交、北米、中南米、南太平洋、組織犯罪、テロリズム。

 趣味は世界を車で走ること。

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