(Source:BBC)

 

 

 新興市場でこの2年、弱い通貨として肩身の狭い思いをしてきたチリペソが、久しぶりに強含みとなっている。21日に投開票が行われたチリ大統領選で右派候補がトップの得票率で決選投票(12月19日投開票)に駒を進めたためだ。チリでは経済的格差の是正を求めるデモが活発化し、一部が暴徒化するなど社会不安が広がり、マーケットの懸念材料となっていた。左派への傾倒が顕著になっていた中での、大統領選の予想外の結果にマーケットが大きく反応した。

 

 21日の大統領選では50%を超える票を得た候補がいなかったため、規定により上位2人での決選投票が行われる。決選投票に進出したのは弁護士で元下院議員の右派、アントニオ・カスト氏(55)と、左派の下院議員、ガブリエル・ボリッチ氏(35)。得票率はカスト氏が28%、ボリッチ氏が26%と僅差。さらに2人とも思想的には極端で、決選投票まで極右と極左の激しい選挙戦が展開される。

 

 カスト氏は2002~2018年まで下院議員を務め、政治経験も豊富だ。2017年の大統領選にも立候補し、8%の得票率で4位だった。2016年には所属する右派政党を離脱し、2020年に極右の新党を立ち上げた。厳しい移民政策の導入や治安維持を最優先課題に掲げて保守層の支持を広げた。

 

 チリは、1973年のピノチェト陸軍総司令官による軍事クーデター以降、1990年まで軍事独裁政権が続いた。思想信条の自由や人権が踏みにじられたチリの暗黒時代だが、カスト氏はピノチェト独裁政権を称賛している。そのピノチェト時代に制定された憲法が現在も残るため、現在、チリは新憲法制定の手続きに入っているが、カスト氏は書き直しに反対の立場をとる。

 

 一方のボリッチ氏は、学費の無料化や営利目的教育の見直しなどを求めた2011年の学生デモを先導したことで国民的に知られるようになった。2013年に下院に初当選。議事堂初登庁の日にネクタイをしなかったことが話題となった。

 

 年金制度の見直しや企業への累進課税の導入、社会保障制度の充実を掲げる。チリはOECD加盟国の中でも、貧富の格差を示す「ジリ係数」が非常に高い。ボリッチ氏の主張には、経済格差の是正を目指す政策が並ぶ。

 

 

写真

(Source;Nikkei)

 

 

 そして、何といってもボリッチ氏の若さが、既成政治に嫌気がさしているチリ国民の心を動かしている。

 

 チリでは2019年10月から、反政府デモが続いた。燃料価格の上昇などを理由とした地下鉄運賃の値上問題がきっかけだった。デモは一部が暴徒化し、治安部隊との衝突を繰り返した。中道右派のピニェラ政権は運賃値上げを中止したが、経済格差への市民の不満が噴出し、騒乱は収拾しなかった。

 

 ピニェラ政権は非常事態を宣言し、市民に夜間外出禁止を課した。これを受けて軍は首都サンチャゴやその周辺に戦車を配備した。

 

 サンチャゴで市民と軍が衝突し、市民に死者が出た中、ペニェラ大統領が孫娘の誕生日に高級イタリア料理店で食事をしている姿がソーシャルメディアに流れ、国民のさらなる怒りを買うこともあった。

 

 一連のデモ、暴動による死者は36人。2万8000人が逮捕されたと伝えられている。ペニェラ政権は事態を収拾させるため、デモ隊に譲歩する姿勢をみせた。現在行われている憲法書き直しの手続きは、この時に政府がデモ隊の要求を飲んだことの結果だ。

 

 経済的に安定した国とされるチリの通貨ペソが弱い通貨に転じてしまったのも、地下鉄運賃値上げをきっかけにした社会不安によるところが大きい。今回の大統領選はチリの近年の政治、社会に大きな影響を及ぼしたデモ、暴動を総括する形の選挙でもある。当初は極左のボリッチ氏が有利だとみられていた。しかし、1回目の結果は極右のカスト氏が上回った。最近の過激な「左旋回」をチリ国民が止めようとしている、とみる向きもある。

 

 この結果を受けてチリペソは、投開票直後の22日、外国為替市場で大幅に買われた。ドル・ペソ相場は一時3.7%の大幅なペソ高となった。またチリの株式市場でも買われる銘柄が増え、サンチャゴ市場の株式指数は7%以上も跳ね上がった。

 

 しかし、カスト氏は「アンデスのトランプ」「チリのボルソナロ」とも称される。カスト氏優位で一時的に経済的な利点があったとしても、カスト氏の主張が社会対立の要因になるとみられてしまえば、マイナス要素に転じてしまう。

 

 世界最大の銅生産国であるチリ。銅価格が急上昇していたにもかかわらずペソが新興市場のお荷物といわれるほど弱い通貨になっていたことは、社会不安が足を引っ張っていたからだ。大統領にカスト氏がなるにせよ、ボリッチ氏がなるにせよ、極端な思想が表に出過ぎれば、経済的な恩恵はなくなる。

 

 

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Taro Yanaka

 街ネタから国際情勢まで幅広く取材。

 専門は経済、外交、北米、中南米、南太平洋、組織犯罪、テロリズム。

 趣味は世界を車で走ること。

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