ジョン・D・ロックフェラーが率いるスタンダード石油はあまりにも巨大化したため、世論の反発が次第に高まっていった。ついには史上最大の企業解体の憂き目をみることになった。(写真はYahoo画像から引用)
20世紀に入り、米国の石油産業に激震が襲った。それは、スタンダード石油の解体だった。1880年代、スタンダード石油に対する世論の反発が大きくなってきたのをきっかけに米国では1890年、シャーマン・反トラスト法が成立した。
とりわけ、カンザス州で発生したスタンダード石油にかかわる経営手法が物議を醸した。1904年、カンザス州において原油生産が激増。結果として原油価格の急落につながった。価格が下落するのは経済原則上、当然だったが、問題となったのはスタンダード石油の子会社による公示価格の引き下げで行なわれたことだった。スタンダード石油に対する世間の風当たりは日に日に強くなっていった。
この騒動はいったん落ちついたものの、1905年2月に再燃することになる。カンザス州選出議員の要請で、米下院は同州の石油事情を調査するよう議決。この調査はカンザス州にとどまらず、やがて全米規模に広がった。セオドア・ルーズベルト大統領(当時)も調査実施を支持したという。
1906年、連邦企業局が調査報告書を提出。スタンダード石油は1870年代以降、リベート、ドローバックなどを繰り返していた事実が認められたとする内容だった。法律施行前の行為だったため、違法性を問われるには至らなかったが、道義的に許されない行為だったとする社会的風潮が広がったのも確かだった。
その後、この問題をめぐり、米連邦政府とスタンダード石油との間で4年半に及ぶ法定闘争が繰り広げられた。1911年5月、連邦最高裁判所はスタンダード石油にシャーマン・反トラスト法違反で有罪判決を下す。これにより、スタンダード石油は30数社に分割されることになった。
ところで、ロックフェラーは天文学的な財産を築きあげた一方、資産の多くを慈善活動に費やした。シャーマン・反トラスト法が成立する3年ほど前には第一線から退いていた。彼に対する評価については賛否が分かれ、いまだにその功罪が論争されているほどだ。
在原次郎
グローバル・コモディティ・ウォッチャー。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。