英国では18世紀半ば、茶に関する論争が巻き起こった。そのなかで、飲茶に反対したのが、メソジスト教会の創設者であったジョン・ウェスレーだった。(写真はYahoo画像から引用)

 

 1703年6月生まれのウェスレーは、18世紀におけるイングランド国教会の司祭で、メソジスト運動(信仰覚醒運動)を展開したことで知られる。ここから派生したのが、プロテスタント教会だ。彼の著作である『キリスト者の完全』は、日本でもこれまで、複数の人たちによって邦訳されている。

 

 ウェスレーは、飲茶が肉体的にも道徳的にも有害であるため、茶を飲まないよう、教会の信者に説いたとされる。1746年7月6日、「今後、ティーを断つこと、それによって節約できたものを貧民の衣食のための慈善に供すべきことを提起した」( 角山栄著『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』)。

 

 信者たちはただちに断茶生活に入り、10日以内に30ポンドを貯めた。彼らが提供した資金、物資などよって、その年の年末までに250人の貧民が救われたという。『キリスト者の完全』では「できるだけ儲けて できるだけ貯めて できるだけ与えなさい」という記述があり、ウェスレーはこれを実践したとの指摘もある。

 

 ウェスレーが茶を断つことを勧めた理由は、自らの体験に基づいていた。彼がオックスフォードに滞在した後、中風の症状が起き、とりわけ、朝食をとった後、手が震え、苦しんだ。ところが、朝食で茶を飲むのをやめたところ、震えが止まったという。

 

 その後、ロンドンに住む多くの人たちも茶を愛飲するようになって神経が衰弱し、体力が落ちるケースを多々聞くに及んだ。茶との因果関係はともかく、ウェスレーは当時、こうした事象を断茶の根拠としたようだ。

 

 ウェスレーはピューリタンの禁欲主義と博愛主義に基づき、断茶生活を行ったわけだが、晩年になると、医者のすすめもあり、茶の愛飲家に逆戻りしてしまった。

 

 毎週日曜日、ロンドンのメソジスト教会の宣教師たちはウェスレーの自宅に集まる習慣となっていた。その際、陶器王と呼ばれたジョサイア・ウェッジウッドがウェスレーのために制作したティー・ポットが使用され、ウェスレー自ら彼らをもてなしたそうだ。

 

 

在原次郎

 グローバル・コモディティ・ウォッチャー。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。