ダイナマイトの発明者で、ノーベル賞の創設を託してこの世を去ったアルフレッド・ノーベル。この賞が誕生した背景には、ノーベル兄弟によるバクーでの石油開発で得た莫大な利益があり、その一部が基金に回されたと言われている。(写真は授賞式の様子、Yahoo画像から引用)

 

 『石油大国ロシアの復活』(本村眞澄著)によると、スウェーデン出身のノーベル3兄弟(長男ロベルト、次男ルードビッヒ、三男アルフレッド)のうち、ロベルトは19世紀後半、バクー(現在のアゼルバイジャン)で石油開発に乗り出した。1873年3月のことであったという。彼はバクー市の南に位置していたビビ=エイバート油田を買い取ったほか、当地の製油所も取得し、設備の近代化を図った。1875年にはバラハニ油田も手中に収めるなど、石油生産は拡大の一途を辿っていった。

 

 翌1876年、ルードビッヒがスウェーデンからバクーに移ってきた。彼は石油生産でなく、石油輸送に着目した。まず、バラハニ油田から製油所までの約15キロメートルに及ぶパイプラインを敷設。次いで「船倉にタンクを作り、直接石油を詰め込むという、今日の概念でいうまさに『タンカー』という輸送手段を考案し、スウェーデンの造船会社に発注した」(同書)。

 

 ノーベル兄弟の石油事業は1879年5月、ノーベル兄弟石油開発会社(ノーベル社)として株式会社の形態となった。(㊟ロベルトとルードビッヒはその後、仲違してしまう)

 

 ロベルトが経営から離れたノーベル社は、その後も規模を広げていった。会社運営をルートビッヒから引き継いだ息子のエマヌエルの時代、従業員は5万人に達したという。帝政ロシアにおける石油製品の4割を生産し「バクーの奇跡」と呼ばれたほどだ。

 

 他方、ダイナマイトの発明で巨万の富を築いていたアルフレッドは、兄弟のバクーにおける石油事業に慎重な姿勢を示していたという。必要な場合に限り資金提供し、会社の株式公開を進言するにとどまり、直接経営にかかわることは決してなかった。

 

 さて、ノーベル賞の基金の一部はバクーの石油からもたらされたとされる点についてだが、厳密に言うと、ダイナマイトの発明で得た資金に加え、アルフレッドがルードビッヒに資金援助したことでノーベル社の大株主となったことによる配当が大きかったというのが真相のようだ。

 

 アルフレッド(1896年没)の遺志を汲み、ノーベル賞は1901年に始まった。当初、物理学、化学、医学生理学、文学、平和の5分野だったが、1968年に経済学賞が追加された。

 

在原次郎

 Global Commodity Watcher。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。