コモディティ取引のメッカ、米国シカゴ。ラサール金融街に聳え立つシカゴ商品取引所(CBOT)の建物はランドマークとして知られている。かつて、ここを拠点にマーケット分析に傾注したアナリストがいた。穀物需給予測の神様と称され、米大統領も一目を置いたコンラッド・レスリーだ。(写真は1994年、筆者が撮影)

 

 1972年のある日、CBOTビルの別館にオフィスを構えるレスリーのもとに1本の電話がかかってきた。

 

 「ニクソンだが・・・」

 

 「ニクソン? 私が知っているニクソンという名前は合衆国大統領しかいない」

 

 「そのニクソンだよ」

 

 現職の米大統領からのダイレクトコールと知り、レスリーは驚くと同時に、面識のない自分になぜ電話をかけてきたのかと訝った。ニクソンはそのとき、政府が穀物政策を立案する際にレスリーが発行する穀物需給に関するニュースレター「レスリー・レポート」が大変役立ったと感謝したそうだ。

 

 「レスリー・レポート」は穀物需給の調査結果を掲載した冊子だ。レスリーと彼の妻であるシンシアの2人が全米約3,000に及ぶカントリー・エレベーター(穀物貯蔵業者)を対象に、大豆やトウモロコシなどの作柄・生産見通しをハガキで返信してもらうというシンプルな形式を採用した。

 

 回収したハガキの整理を夫婦で行い、過去データと照らし合わせながら独自分析した数字を米農務省(USDA)が正式発表する前に会員に提供した。ちなみに、USDAは当時、9万軒の農家を対象に穀物需給調査を行っていた。

 

 アナログともいえるレスリーの手法だったが、USDAが発表する数字と大差がなかったため、生産者だけでなく、シカゴ先物市場で相場を張る投機家らにも重宝がられた。穀物関係者には必読レポートだった。

 

 USDAの手法と異なり、レスリーは生産者でなく、穀物エレベーターに目を付けたという。貯蔵業者は銀行に融資を要請する場合、穀物の数量を調整するため、1カ月単位で作況を把握しておく必要があった。

 

 穀物エレベーター業者は農家に出向き、自らの目で作柄や生産高見通しを確認していたという。レスリーは「彼らにはプロフェッショナルというプライドがあったんだろうね。いい加減な数字を提供する貯蔵業者はいなかった」と振り返った。

 

 上記のエピソードは1990年代前半、筆者がレスリーのオフィスを訪問した際に明かしてくれた。

 

 「ときの大統領から電話があるとは思いもしなかったよ。自分が作成したレポートが国の政策に少しでも役立ったことが嬉しかった」。当時、こう語っていたレスリーは2018年12月末、泉下の客となった。                                                                                   

 

 

在原次郎

 ジャーナリスト。エネルギーや鉱物、食糧といった資源を切り口に国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。