大油田地帯キルクークにクルド部隊が再び駐留―。イラクからそのような動きが伝えられている。イラク首相カディミは15日、イラク軍にクルド側と安全保障面で合意するよう命令した、と報じられた。それを受け、ペシュメルガとイラク軍は共同作戦室の設置を発表した。有志連合幹部は、共同作戦室設置によりイラクとクルドの「距離を縮める」ことは、イスラム国の生命線を断ち切ることに繋がると述べた。そして、ペシュメルガ幹部は、複数のペシュメルガ将官が、23日よりキルクークのK1基地に駐留を開始することを明らかにした。早速、ペシュメルガは、24日、キルクーク近郊のマハムールにおいて共同作戦を遂行したことを明らかにした。(地図はYahoo画像から引用)

 

 キルクークは、イラク戦争後、クルディスタン地域政府(KRG)とイラク中央政府の係争地であった。2014年、イスラム国がイラク北部で大攻勢を開始し、モスル陥落、そしてキルクークも危うくなると、クルド人部隊ペシュメルガはキルクークに進駐し、実効支配を開始した。イラクでイスラム国の支配地域が消滅した2017年、イラン傘下の民兵組織が、キルクーク近郊での政府寄り武装勢力とクルド人部隊の小競り合いに端を発した戦闘に乗じ、同市へ侵攻を開始した。クルド内部の不協和音もありキルクークは陥落、イラク政府軍と警察が入域した。キルクーク一帯はイスラム国残党の活動が活発な地域であるが、クルド勢力、中央政府・イラン傘下勢力の対立関係による力の空白が、テロリストの温床となってきた。最近、イラク軍はイスラム国による12もの地下道を発見したと伝えられた。

 

 かつての勢力を取り戻すことはありないが、イラク北部に勢力を誇る武装集団となりつつあった。今回の合意とペシュメルガ将校駐留が、ペシュメルガ本隊の再駐留につながれば、キルクーク周辺のイスラム国の活動はかなり抑制されると期待される。

 

 また、軍事的のペシュメルガとイラク軍の協力には意義がある。空軍をもたないクルド側は、イラク軍に航空支援を期待している。ペシュメルガの将校シルワン・バルザ二は、クルド部隊が活動するディヤラ、マハムール付近で空爆は大きな助けになると述べた。シリアにおいてもクルド人部隊の地上における活動は、アメリカ軍の空爆の大きな助けになり、逆もまた然りであった。

 

 一方、ペシュメルガ再駐留への期待が、一部懸念を招いている。キルクークを拠点にするイラク・テュルクメン戦線は、イスラム国掃討を政治的目的達成の手段にするべきではないとペシュメルガ再駐留の可能性に懸念を表明した。KRGと対立するクルディスタン労働者党(PKK)系メディアも、匿名のテュルクメン戦線関係者による、「ペシュメルガの再駐留は違法」との声を伝えた。テュルクメン戦線はトルコの先兵という側面があり、テュルクメン人を守るためにはトルコの介入が必要という特殊な立場であることと、それがテュルクメン人の民意を代表するわけではないことは留意する必要がある。確かにフセイン政権崩壊後、力を得たクルド人がテュルクメン人を弾圧するという不幸な歴史があり、テュルクメン人やアラブ人の懸念の声には頷ける。

 

 ペシュメルガが再駐留事態になっても、イラク軍がキルクークを去ることにはならない。ペシュメルガ撤退後、クルド人が再び迫害にさらされたのも事実だ。ペシュメルガ、イラク軍がバランスをとることが、クルド、テュルクメン、アラブという3民族のモザイクであるキルクークの安定につながる。それはキルクークの石油生産にも当然、資することになる。

 

 

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Roni Namo

 東京在住の民族問題ライター。クルド人を中心に少数民族の政治運動の取材、分析を続ける。クルド人よりクルド語(クルマンジ)の手ほどきを受ける。2020年7月、日本の小説のクルド語への翻訳を完了(未出版)。現在はアラビア語学習に注力中。ペルシャ語、トルコ語についても学習経験あり。多言語ジャーナリストを目指している。