バイデン米政権は4月24日、歴代政権が黙殺してきた「アルメニア人大虐殺」を正式に認定すると発表した。トルコのエルドアン大統領は即座に激しく反発し、軌道修正するよう呼びかけた。虐殺記念日にあわせての認定ということであるが、「政権発足から100日」で達成したレガシーを積み上げようという米側の意図も透けて見える。今回の件は「人権重視」バイデン政権の突飛な決定というわけではなく、すでにトランプ政権下でも超党派で検討が進められていた案件だ。(写真はYahoo画像から引用)

 

 米下院は2019年、政府にアルメニア人大虐殺を認定すべきと決議した。トランプ前大統領は最終的にエルドアン大統領との個人的関係を優先して、うやむやとなっていた。イスラム国壊滅作戦への不誠実な態度をめぐり、米国はすでに6年以上前からトルコとはすきま風が吹き始めていた。米国がイスラム国打倒に必要な戦意と兵力をもつクルド人勢力と同盟を組むに至って、トルコ国内に米国を敵とみなす風潮は強まった。今回の歴史的決定も、オバマ元政権時代からの米土対立の一里塚となった。米国の同盟国からトルコが離脱する動きが、また一歩進んだということである。

 

 トルコ国営通信は、アルメニア人大虐殺を1915年の遥か後の60年代に噴出し始めたプロパガンダとする解説記事を発表した。アルメニア人大虐殺は、第一次世界大戦中、オスマン帝国を率いる「統一と進歩委員会(通称:青年トルコ)」政府中枢で,タラ―ト・パシャ内相(当時)を中心に密かに計画され、順次地方に命令が下されていった。トルコ側の主張では、アルメニア人がロシアの指示で背後からオスマン帝国軍を攻撃しようとしたため、何らかの対処が必要であったとのことだ。

 

 ロシアがアルメニア民族主義者の支援をしていたのは事実であるが、アルメニア人地域一般にロシアの工作が浸透していた証拠はない。そのためアルメニア史の専門家である中島偉晴氏によると、その真の目的は、戦争に乗じて経済的に高い地位にあることも多かったアルメニア人を一掃し、財産を略奪することにあった。資本主義が未発達であったオスマン帝国において、主要な企業家、金融業者、労働者までもが、アルメニア人、ギリシャ人またユダヤ人といった異教徒であった。経済的に遅れたトルコ人が資本主義を確立する過程の負の歴史というのが真実だ。

 

 クルド人にとっても悲劇の歴史であった。最後のスルタン・アブデュルハミト2世が創設し、クルド人も多く参加したハミディエ軽騎兵連隊が、大きな役割を果たした。後にトルコ政府の弾圧を受けるクルド人は、トルコに対抗する上で有力な仲間を失い、さらには民族浄化の共犯者となってしまった。一方、虐殺の結果、アナトリア南東部はアルメニア人地域からクルド人地域となった。ただ、クルド人はトルコ人とは異なり、アルメニア人大虐殺を認めるのが主流だ。クルド系政党・人民民主党(HDP)の当時のフィゲン・ユクセクダ共同代表は、アルメニア人大虐殺に謝罪すると議会で発言し、大変な物議を醸した。

 

 今回も、ホワイトハウスの発表後、アルメニア系HDP議員が、大国民議会にアルメニア人大虐殺認定を求める議案を提出し、国内外に波紋を呼んだ。トルコの極右政治家は彼を名指しし、虐殺を再度体験することになるといった趣旨の、脅迫まがいのメッセージを送った。HDPは3月、検察が憲法裁判所に解党の申し立てをしたことで危機に瀕した。バイデン政権によるアルメニア人大虐殺認定は、国際社会へのアピールとエルドアン政権に対する反撃の材料となった。

 

 声明は当然、隣国アルメニアに歓迎され、政治にも影響を及ぼしている。ナゴルノ・カラバフ失陥の責任を追求されるパシニャン大統領は、バイデン大統領にナゴルノ・カラバフのアルメニア系住民の安全保障において前向きな決定とメッセージを送り、その後、自身の辞任に伴う選挙の日程を発表した。

 

 パシニャン氏は、国賊として政界追放の憂き目に遭うところをバイデン政権の認定発表で捲土重来のチャンスを見出すことになった。また、アルメニアを巡る安全保障、国際関係にも前向きな変化をもたらし得る。米国とロシアは対立関係にあるが、今回の決定で奇しくもナゴルノ・カラバフ問題で共闘する余地が生まれた。

 

 「アルメニア人虐殺認定」は、単なる歴史認識を巡る談話にとどまらず、トルコと、それと対立する勢力への米国の立場を示すメッセージとなった。


 

Roni Namo

 東京在住の民族問題ライター。クルド人を中心に少数民族の政治運動の取材、分析を続ける。クルド人よりクルド語(クルマンジ)の手ほどきを受ける。2020年7月、日本の小説のクルド語への翻訳を完了(未出版)。現在はアラビア語学習に注力中。ペルシャ語、トルコ語も学習経験あり。多言語ジャーナリストを目指す。