2020年の国内ビール販売で11年ぶりに首位に返り咲いたというキリンビール 。同社の公式ホームページを開くと、トーマス・グラバーを「キリンビール発売の功労者」、「日本のビール産業振興の功労者」などと称えている。(写真はYahoo画像から引用)



 グラバーと言えば、長崎県の観光名所「グラバー園」で有名。ちょうど今年が没後110年にあたる。幕末の日本で倒幕派を支援したスコットランド出身の貿易商で、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を設立。坂本龍馬が設立した日本初の総合商社といわれる亀山社中とも取引をした。



 ちなみにこのジャーディン・マセソン商会は横浜開港の安政6年(1859)に横浜支店を設立。日本に進出した外資系企業の先駆けでもある。現在も存続しており、不動産投資や金融、レストランや高級ホテルなどさまざまな事業を手掛ける。

 

 持ち株会社のジャーディン・マセソン・ホールディングスがロンドン証券取引所(LSE)やシンガポール証券取引所(SGX)などに株式を上場している。跡地にはかつて横浜商品取引所(旧横浜生糸取引所)が入居していたシルクセンターが建っており、横浜のランドマークとなっている。  

 

 グラバーがビールと関わるのはグラバー商会が明治3年(1870年)に潰れた後のこと。その後、三菱財閥の顧問に招かれることになったグラバーは、経営危機に瀕していたビール醸造所の「スプリングバレー・ブルワリー」が明治17年(1884)に閉鎖されると、再建を三菱財閥の創業者となった岩崎弥太郎に促した。明治18年、「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」が設立された。

 

 グラバーも重役の座に就き、ドイツから醸造技師を招いたほか、原料に加えてビールびんや醸造に用いるゴムホースに至るまでこだわり、製造道具をビールの本場ドイツから輸入、明治21年(1888)に「キリンビール」誕生へとつながった。

 

 その後、キリンビールは業界で「ガリバー」と呼ばれるほど強大となり、販売シェアを大きく伸ばしていったことは周知の通りだ。
 

 

沢田楊:ジャーナリスト


予告

最終回の「麦酒今昔」(3)は、日本のビール王「馬越恭平」を取り上げます。