経済学の父と呼ばれたアダム・スミス。著書『国富論』で《馬鈴薯》生産の重要性を論じ、その普及を強く訴えたのであった。(写真はYahoo画像から転載)

 

 一般的に知られている『国富論』だが、『諸国民の富』とも訳され、1776年に出版された。産業革命以後の経済学について論じたもので、重商主義の批判、自由主義の立場から関税の撤廃、租税改革と戦費調達目的の国債発行の停止などがテーマとなっている。そして興味深いことに、馬鈴薯の栄養価や生産の重要性について言及している。

 

 スミスが活躍していた当時、英国の農業人口の比率は70%だったという。産業革命に端を発する工業化の進展で90年後には、この比率が22%まで落ち込んだそうだ。スミスは、馬鈴薯と小麦の比較で、耕地面積は同じでも、「馬鈴薯のほうがはるかに多数の人々を扶養することになるだろう」と指摘。また、労働者は一般に馬鈴薯で養われるようになるから「その耕作に投下されるいっさいの資本を回収し、いっさいの労働を維持した後に、もっと大きな余剰が残るだろう」と、馬鈴薯生産の重要性を説いた。

 

 アダム・スミスの出発点は哲学だった。スミスが誕生する前に父親は没していたため、母親の寵愛を受けて育った。グラスゴー大学で道徳哲学を学んだスミスは、1740年にオックスフォード大学に入学したものの、6年後に退学。51年に母校グラスゴー大学で論理学教授、52年に道徳哲学の教授に就任した。

 

 その後、教授職を辞したスミスはフランスに渡る。1763年のことだ。パリでは、ダランベールやケネーら知識人と親交を結んだ。彼らの影響を受けたスミスは66年、スコットランドに戻り、『国富論』の執筆に取り掛かり、10年の歳月をかけて仕上げた。

 

 「他のどのような作物よりも栄養に富んで、人体の健康に適するものはない」と、馬鈴薯の摂取を勧めたスミス。グラスゴー大学名誉学長のポストを最後に、1790年7月にエディンバラで永遠の眠りについた。

 

 

在原次郎

 コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。