「東洋最大の航空機メーカー」の遺伝子を受け継いだSUBARUの挑戦①」からの続き

 

 戦後、紆余曲折を経て、「富士重工」として再出発した同社だが、自動車の開発、生産とは別に、既に航空機製造への参画も早くから行っている。

 

 1950年代後半には、大戦後初の日本産航空機だった、T-1練習機を開発。78年にはT-3、87年にはT-5が初飛行と、東洋最大の航空機メーカーの遺伝子は、1900年代後半に入っても受け継がれていた。

 

 また、同社の技術としては、ヘリコプターの技術も忘れてはならない。若井氏は、この回転翼機については、SUBARUの得意分野と語る。過去にはライセンス生産機として、UH1H、UH1J、AH1S対戦車ヘリ「コブラ」、AH-64D「アパッチ」などを生産している。

 

 このUHシリーズは、米ベア・エアクラフト社が開発した汎用ヘリで、1956年に初飛行を果たした後。ベトナム戦争で活躍。現在でも米陸軍、海兵隊、また日本の陸自などでは未だ現役のヘリである。

 

 そして、SUBARUは、このほど民間向け最新汎用ヘリ「SUBARU BELL412EPX」を開発した。このヘリは米ベル・テストロン社と共同開発の上、このヘリをプラットフォームとして、陸自向けに新多用途ヘリを開発。2019年2月に試作機を納入したという。

 

 また、米海兵隊向けのMV-22「オスプレイ」の定期整備を担当し、新しい開発を進めるSUBARUは、新たに「無人機」の開発に乗り出しているという。

 

 

航空宇宙部門での6~7割を占めるボーイング社からの事業

 若井氏は、続いてボーイング社から受注している、ジェット旅客機部門での事業を解説した。コラム最初の方でも紹介したように、同社は、777シリーズ、787シリーズ、そしてボ社の次期主力機「B-777X」の中央翼を製造、納入している。

 

 この中央翼は、愛知県の半田工場で製造し、その製造した中央翼は工場近くに隣接している中部国際空港「セントレア」に運ばれ、B-747Fを更に魔改造した、B-747LCF「ドリームリフター」搭載され、ボ社の本拠地、米国まで運ばれるという。

 

 

写真

(B-787通称「ドリームライナー」の主翼や中央翼など日本で製造された部品を乗せ米国まで運ぶB-747LCF
称「ドリームリフター」その名の通り、まさに日本企業の「夢」を運ぶ航空機だ。 写真:Wikipedia)

 

 

 この中央翼をはじめとする同社の航空宇宙事業の売り上げの内、ボ社からの受注でおおよそ6~7割を占める大きなものと若井氏は話す。

 

 若井氏は、この航空宇宙事業の特徴として、「参入障壁産業」と位置付けた。

 

 その理由として

  ① 高い安全・品質を求められる
  ② 技術的に高いレベルを求められる
  ③ 大きな資金が必要
  ④ 長期投資回収
  ⑤ 資格的な問題

 

を挙げている。つまり、高い技術力を求められながら、大きな資金を投入し、そしてその投資を回収するのに時間がかかるという事だという。

 

 この事例として

  ・国内自動車市場規模が60兆円→大量生産

  ・航空機は2兆円→多品種少量(最近は低コスト化)

 

 ということを挙げている。部品にフォーカスしても、汎用ボルトが1個250円だとして、航空機用のチタン製ボルトについては3万3,000円と桁違いのコストを披露した。

 

 この部材についても、材料から開発、そして完成しても実証実験の結果が非常に重要となり、やはり資金力と技術力がカギとなると若井氏は話す。

 

 障壁産業の中に合って、元々「東洋最大の航空機メーカー」の遺伝子を持ちながら、自動車産業において名声を手にしたSUBARUだからこそ、今なお業界を生き続けることができるともいえる。

 

 

(文:金剛たけし)

 

 

参考文献:航空情報2019年8月号 発行;発売 株式会社せきれい社