3月初め、ローマ・カトリック協会のフランシスコ教皇が歴史的なイラク訪問を果たした。イスラム国がイラクに司令部を置き、イラク治安部隊の解放作戦で徹底的に破壊された都市モスルも治安上の懸念が払拭されないなか、教皇がイラク訪問を決行した背景に何があったのかを探ってみた。(写真はVatican News から引用)

 

 初のラテンアメリカ出身のフランシスコ教皇はこれまで、カトリック教会の枠に囚われない活動を続けてきた。イラクにはアッシリア教徒、カルデア教徒など少数派キリスト教徒が多く、イスラム国の攻撃の対象にもなった。イラクではキリスト教徒に限らず多数派のアラブ人のなかにクルド人、トルクメン人といった少数民族が混在し、紛争が絶えない。

 

 サダム・フセイン時代のイラクでは、少数派のスンニが軍、政府の要職を独占していた。イラク戦争後、スンニ独占体制は崩壊し多数派のシーアが権力を握ることになった。過去イラクと干戈を交えたイランは、これをイラク属国化の好機としバドル軍団、ヒズボラ旅団など傘下の武装勢力立ち上げに暗躍し、マリキ氏を筆頭に多くの政治家を操り人形とした。

 

 イランという後ろ盾を得たシーア武装勢力はこれまでの復讐と言わんばかりにスンニ住民への暴力を繰り返した。スンニの怒りはイスラム国誕生につながった。イスラム国崩壊後も根本的な問題解決には至っていない。フランシスコ教皇はイラクのシーア最大の宗教的権威シスタニ師と面会し、予定時間を大幅に超え意見交換を行った。私腹を肥やすことしか頭になく、宗派対立の解消とイラクの安定へ何ら貢献しない政治家連中への不満をシスタニ師は表明したという。

 

 イラク国内で民族、宗派への暴力が少ないとされるのがクルディスタン地域である。フランシスコ教皇のイラク訪問もクルディスタン地域を中心に行なわれた。クルディスタン地域にはカラコシュといったイスラム国に破壊された教会があるのも大きな理由だろう。クルディスタン民主党とクルディスタン愛国者連盟が政治的分断を解消できていないのも実情だ。

 

 それでもシーア主体のイラク本土にはない美徳が、クルディスタン地域には少数派の存在が許されている。クルド人は過去、イラクでも激しい弾圧の対象になってきたが、クルディスタン地域政府の成立後、シーアのように集団でアラブ人へ復讐をすることはなかった。それどころか、イスラム国の戦火から逃れたアラブ人も受け入れている。

 

 フランシスコ教皇の訪問はクルディスタン地域の役割にあらためて光を当てたといえるだろう。クルディスタン地域が半独立状態であることで少数派にとってのアジールとなり、宗教的熱情よりも少数派尊重といった国際社会と価値観を共有できるクルド人が勢力を持つことにより、結果的に地域の安定に貢献することにつながる。

 

Roni Namo

 東京在住の民族問題ライター。クルド人を中心に少数民族の政治運動の取材、分析を続ける。クルド人よりクルド語(クルマンジ)の手ほどきを受ける。2020年7月、日本の小説のクルド語への翻訳を完了(未出版)。現在はアラビア語学習に注力中。ペルシャ語、トルコ語についても学習経験あり。多言語ジャーナリストを目指している。