だいたいにおいて、日本の場合、危機意識が低い。リスク管理においても、家に火が付く前に気づくのと、火がついてから気づくのとでは大違い。この数年の日本のモノづくり業界をみていると、特に伝統的な重厚長大産業においては顕著で、もはや家が燃えているのに気づかなかった、という感が強い。5日に発表された一連の日本製鉄の合理化策(2025年までの中期経営計画)は実際、10年前からこうなることはわかっていた。国もメーカーも業界関係者はすべからく。

 

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 日本製鉄の中期経営計画案をみると、かなり力強い内容には見え、中国とでもコスト競争力で勝つ、と豪語されている。またAI、DX(デジタルトランスフォーメーション)といった流行りの言葉も散りばめられている。いかにも優秀なコンサルが描いたような期待感あふれる内容だ。株価は上がるかもしれない。日本の産業を支える存在になるとしている。

 

 が、これが10年前に宣言していればまだ意味はあった。いわば火が付く前に。今はもはや家が燃えている状態である。はっきり言ってすべてが絵空事のように見え、聞こえる。あまりに空疎。

 

 日本製鉄の橋本社長も今更の「危機感」をことさら強調していたが、しかしそれは遅くとも10年前に感じるべきだった。メーカーもそうだが、国も無策。無策の犠牲者は誰か?寄らば大樹の陰という考え方が長く続き、変化を好まない国民性も邪魔をして、変化を求めてこなかった。すべて、家に火がついてからバタバタする。しかしそれでは遅すぎた。

 

 昭和40年代、福島県いわき市の町おこしで作られた「常磐ハワイアンセンター」を舞台とした映画「フラガール」(2006年)をもっと真剣に見るべきだったのでしょう。映画では石炭から石油へとパワーシフトしていくなかで、炭鉱も閉鎖。新たな産業として町はサービス業に活路を見出した、というストーリーである。日鉄および霞が関のエリートの方々はこうした庶民的な映画は好まなかったのかもしれない。

 

 茨城県の大井川知事は日鉄の旧住金鹿島の高炉1基を2025年までに休止する、との発表を受けて5日に緊急の記者会見を開き、苦渋をにじませた。鹿島製鉄所には協力会社含めて1万人が働いているという。日鉄に存続を求めているそうだが無理だろう。むしろ鹿島全体の閉鎖が早まることを想定した対策を考えるべきなのだが、おそらく何も出てこない。これも寄らば大樹の陰的な考え方で、いわば茨城県も思考停止状態にあった。新しい産業を構築することよりも日鉄という大会社に依存していただけ。そんな考えなら中学生でも知事はできる。いや、今の中学生のほうがよほど良いアイデアをもっているかもしれない。

 

 とにかくすべて無策で思考停止が長らく続いたツケがすべて回ってきたのが今の日本の実像であろう。

 

 これはなにも鉄鋼業だけではない。他の産業でも同じことがいえる。日本が円高になったときに積極的に海外生産を進めてきた。国も後押しした。その結果、国はどうなったのか?短期的な競争力に固執したがゆえ、本来、日本の製造業のもっていた技術力は損なわれ、あらゆる素材産業の競争力は凋落。国じたいも少子高齢化が進み、ヒトもいなければ産業も残らない始末。

 

 中国、中国というが、中国に負けない技術力をかつてはもっており、今もいくつかの材料ではあるのだが、円高、そしてリーマンショックを経て長期的な展望に立たずに縮小だけを考えた結果、世界が求めている素材、商品を十分に供給できず、といって設備投資を行うにも二の足踏めずで、判断力の早い中国、韓国メーカーにいとも簡単に抜き去られてしまっている始末。

 

 はっきりいって鉄鋼で中国に勝つコスト競争力というのがわからない。中国大手はそもそも国営。宝武集団1社で1億トン以上を生産している。競争の前提条件が違う。もうひとついえば、高炉メーカーが自信をもっている電磁鋼板も大手自動車メーカーはすでに中国メーカーのものを採用しているのが現実。

 

 かつては1980年代までは確実に日本のなかにあった進取精神という気質が失われて、今に至るまで迷走を続けている。鉄は国家なりの時代はとうの昔に終わっており、今の産業ピラミッドの頂点にいるもは自動車ではなくITだ。しかし日本の産業構造は基本的にはなんら変わっていない。伝統的な大企業依存型が続いてきた。しかしその大企業も無策の極みであるため、今回の日鉄のケースのように地域にも負の連鎖は続く、これを国の無策といわずして何と言おうか。

 

 合理化の目玉は実は人減らし。日鉄本体で1万人、協力会社なども入れたら10万人規模の超大型のリストラになる。当然のことながら地域経済にも大打撃。すでに日本のモノづくりが力を失い、かつ新しい産業の育成もやってなかっただけに、製鉄所から出された方々の働き口はどこになるのか?日鉄のリリースでは閉鎖した製鉄所の社員は配置転換で県外への異動もあるようだが、例えば何十年も鹿島、あるいは広島、山口で生活してきた方々が県外異動というのはなかなかに難しいものがあろう。

 

 つまりはこうなる前に、家に火が付く前に手立てを打っておくべきだった。20年前に。今を予想できず、具体的なチャレンジとトライ&エラーを続けてこなかった国とメーカーの責任は軽くない。最後は結局いつもの人減らし。そうした会社に未来を夢見る若者もどれだけ入ってくるのだろうか?

 

 

(IRUNIVERSE)