明治44年(1911)9月、日本初の婦人文芸雑誌『青踏』が創刊された。その中心人物が平塚らいてう(写真)だ。その発刊に歌人の与謝野晶子は「山の動く日来る」で始まる詩『そぞろごと』を寄せた。晶子の詩はらいてうをいたく感激させた。とりわけ、煙草を詠んだ部分に惹き付けられたという。(写真はYahoo画像から転載)

 

 らいてうは煙草を喫んでいたし、酒も呑んだ。煙草の紫煙に魅了されたというより、男の特権のように思われている喫煙に対する挑発とも言うべきもので、味わうとは無縁だったようだ。

 

 晶子は『青踏』を発行するらいてうの思いを汲んだのであろう。旧い因習の壁に取り囲まれた女性たちの真の自由をもたらせてくれると期待したに相違ない。らいてうが思わず涙ぐんだとされる『そぞろごと』の一部、煙草の部分を以下、抜粋する。

 

にがきか、からきか。煙草の味は。

煙草の味は云ひがたし。

甘しと云はば、かの粗忽者。

砂糖の如く甘しと思はん。

われは近頃煙草を喫み習へど、

喫むことを人に秘めぬ。

蔭口に男に似ると云はるるもよし。

唯おそる。かの粗忽者こそいと多なれ。

 

 戦後、強くなったのは女性と靴下(ナイロン・ストッキング)というフレーズが流行したが、『青鞜』はブルー・ストッキングという意味だ。評論・劇作・翻訳などの分野で活躍した生田長江が名付けたとされる。『青鞜』発刊から1世紀以上が経過したいま、女性の社会進出は当時と比べ目覚ましく躍進したものの、旧い因習の壁はいまも依然として女性たちの前に立ちはだかっている。

 

在原次郎

 コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。