愛煙家受難の時代である。「百害あって一利なし」―タバコ呑みの肩身がますます狭くなるご時世だが、3回にわたり、タバコにまつわるエピソードを紹介する。まずは、皇帝ナポレオン一世を取り上げる。(写真はYahoo画像から転載)

 

 ナポレオン皇帝時代の1809年当時、フランスのタバコ税収は1,400万フランだったという。税収不足に悩む政府は、それを2,400万フランまで増やそうと法案づくりに奔走する。この数字に不服だったナポレオンは、大蔵大臣を呼び付け「少なくとも8,000万フランまで漕ぎ着けなくて、このフランスという大世帯がやっていけるものか、タバコ税ほどよい財源がこの世にある」とハッパをかけた。

 

 かくて1810年12月29日、タバコ専売法が施行された。目論見通り、税収は伸び続け、1845年にタバコ税収8,000万フランを達成することが出来たそうだ。非常時を乗り切るための経済政策として成功を収めたのだ。

 

 興味深いことに、ナポレオンは葉巻など煙の出るタバコを嫌ったそうだが、嗅ぎタバコは人並み以上に愛用したとされる。1カ月に目方ベースで7ポンドの嗅ぎタバコを消費したという。タバコの葉を乾燥させて、それを粉状にして壺に入れておき、指先でつまみながら、その香りを愛ずるのが嗅ぎタバコである。

 

 晩年のナポレオンは孤島セントヘレナに虜囚の身となる。日々の憂さ晴らしに嗅ぎタバコは欠かせない存在だった。ナポレオンは生涯、愛用の眼鏡、嗅ぎタバコ入りの壺、口中清涼剤を手放さなかったそうだ。

 

 1816年11月9日、吸いすぎのため咳が止まらず、閉口したナポレオンは従者を呼び「今日はタバコを用いすぎた。いつもより多いと側らの人が感じた時には、遠慮なくタバコ壺を片付けてもらいたい、これが本当の忠実な道である」と言い付けたという。これは、1822年にパリで刊行された『セントヘレナ追想記』の一節に叙述されているエピソードだ。

  

在原次郎

 コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。