世界的なリチウムの産地である南米の「リチウム・トライアングル」とその周辺地域が、コカインなどの違法薬物の売買拠点となっている。薬物の製造や使用の舞台としてだけでなく、アジアや欧州への密輸の要衝にもなっており、世界の治安にも影響を与えている。背景には、はびこる腐敗や慢性的な貧困、横たわる組織犯罪の存在などがあるが、人類の未来をかけた地球温暖化防止のためのリチウム開発の裏で、貧困と犯罪の連鎖は変わることなく繰り返されている。

 

 「リチウム・トライアングル」はチリ北東部、アルゼンチン北西部、ボリビア南西部にまたがっている。チリのアタカマ砂漠とその周辺に広がる地域だ。

 

図 米国地質研究所(USGS)によると、世界のリチウム地下資源量(Resources=埋蔵量とは別の指標)は8000万トン。その約67%が「リチウム・トライアングル」にある。国別では世界トップがボリビア、2位はアルゼンチン、3位はチリとなる。現時点で開発可能な埋蔵量(Reserves)ではチリがトップ、3位がアルゼンチンだ。

 

 世界各国がガソリン車から電気自動車への移行を掲げる中、電気自動車の心臓部となるリチウムイオン電池の製造は「リチウム・トライアングル」がその命運を握っていると言いても過言ではない。

 

 チリは現在、オーストラリアに次ぐ世界2番目のリチウム生産国だが、2016年までは何度も世界最大の生産国の栄光に輝いてきた。アタカマ塩原、マリクンガ塩原などが主な産地。ピノチェト軍事独裁政権が、リチウムを戦略的資源として核開発に利用しようとしていたことが今も影響して、採掘会社の新規参入が進まず、ライバル国の追随を許してしまっている。しかし、生産されるリチウムは良質だ。塩原から太平洋へのアクセスも良いことから、国際的にトップクラスの産地の座は揺るぎない。

 

 アルゼンチンは世界4位の生産国。オンブレ・ムエルト塩原とオラロズ塩原が主な産地だが、採掘地の開発が各地で急ピッチで進んでいる。

 

 ボリビアは莫大なリチウム資源が地下にありながら、生産量では全くの圏外にある。モラレス社会主義政権の元、開発が進まず、技術的にも商業採掘が満足にできる状態にない。テストサイトでの生産量は400トンほどだと伝えられている。産地として世界的に注目されるウユニ塩原は、「リチウム・トライアングル」内の他の塩原に比べて雨が多いなど特異な気候条件のため、生産には一段の技術革新が必要だとされている。

 

 この「リチウム・トライアングル」がアジアへの麻薬密輸の拠点となっている。昨年3月、インド・ムンバイの捜査当局がボリビア人の55歳の女をコカイン密輸の疑いで逮捕した。地元メディア、ムンバイ・ミラーによると、312グラムのコカインを13個のコンドームに詰め、このうち11個を飲み込み、2個を女性器に隠してインドに持ち込もうとしたという。女はエチオピアのアジスアベバ経由でブラジル・サンパウロからムンバイに到着した。

 

 当時の報道では捜査当局は密輸を指揮していたとみなれるナイジェリア人3人(ボリビアとブラジル在住)についても調べているが、3人はコロンビアとメキシコの麻薬密売組織のメンバーとみられている。

 

 女はボリビア最大の商都、サンタクルスで美容師として働いていたが、サンタクルスでナイジェリア人と知り合い、コカインの密輸を依頼された。行き先についてムンバイか中国・マカオかの、どちらかを選択するように言われ、ムンバイを選んだという。「運び屋」としてリクルートされた訳だが、報酬は1600ドルだったと供述している。

 

 同年1月にはボリビアの地元メディア、ビゾル・ボリビアが、4歳児の母親であるボリビア人が3キロの麻薬を密輸しようとし、中国で収監され、死刑判決を受けたと伝えた。3カ月ほど前に、「海外に仕事に行く。すぐ帰る」と家族に話してから、自宅に戻らなかったという。また1月にはボリビアのエル・アルト国際空港でタイ・バンコク行きの民間機の荷物から420グラムのコカインが発見された。麻薬探知犬が発見した。

 

 ボリビア人がアジアで麻薬密輸の疑いで逮捕され、死刑判決を受けるケースは、それ以前も続いていた。2019年11月にはラオス・ビエンチャンの空港でボリビアン人の女が3.52キロのコカインを持ち込もうとして逮捕され、死刑判決を受けた。また2018年には、2013年に450グラムのコカインをマレーシアに持ち込もうとして逮捕された男が絞首刑の刑を言い渡された。

 

 専門家の間では、中国の犯罪組織と中南米の麻薬密輸組織、それとナイジェリア人のブローカーが国際的なネットワークを形成して、中南米からアジアに向けてコカインなどを密輸するケースが増え、定着化しているという。これまでは米国や欧州向けが主流だったが、アジアルートが急進。国連の2016年の報告でも、アジアでのコカインの押収量は10年間で3倍になった。アジアの富裕層にコカインが広がっているといわれる。

 

 そして「運び屋」として注目されているのが、ボリビア人の女だ。ムンバイのような国際的な「運び屋」だけでなく、隣国チリに陸路で運ぶケースが後を絶たない。貧しい女たちが町で声をかけられ、「運び屋」になる。カプセルに入れられたコカインを飲み込み、バスに乗ってチリに入り、チリのイキケやアントファガスタなどで待ち受けるシンジケートの人間に引き渡すという流れだ。報酬は1000ドルほど。

 

 ボリビアとチリは、歴史的にあまり友好的な関係ではなく、ボリビアからチリへの入国チェックは比較的、厳しいとされている。このため密輸組織はある程度の摘発は覚悟の上で「運び屋」を仕込む。1回の密輸には複数のボリビア人が使われ、仮に1人が逮捕されても、何人かは目的地にたどり着く。ここでは「運び屋」は「消耗品」で、女たちは家族の生活を支えるため、「消耗品」としての危険を知らされることもなく、麻薬カプセルを飲み込むのである。

 

 チリルートが活発な背景には、チリが消費地であると同時に、欧州向けの麻薬輸出の拠点となっているからだ。

 

 スペインの通信社EFEによると、昨年1~10月のチリでの麻薬押収量は前年同時期で15.9%増を記録している。

 

 シンジケートの動きからすると、欧州だけでなくアジアへの拠点にもなっている可能性は高く、チリの治安も今後、悪化する懸念がある。

 

 

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Taro Yanaka

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専門は経済、外交、北米、中南米、南太平洋、組織犯罪、テロリズム。

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