ドイツ人に愛飲される飲み物といえば、ビールを連想するかもしれない。実はコーヒー人気も高い。ドイツは世界トップクラスのコーヒー消費国でもあるのだ。ドイツではかつて、コーヒーとビールを巡る駆け引きがあった。18世紀後半、プロイセンのフリードリッヒ大王(2世)は、貿易収支の改善と国内ビール産業育成のため「コーヒー禁止令」を発布したのであった。 (写真はYahoo画像から転載)

 

 7年戦争の結果、ザクセンは1736年にプロイセンの手に落ち、フリードリッヒ大王の統治下に入った。軍事大国プロイセンにとり、経済の立て直しが重要課題だった。「フリードリッヒ大王の経済政策は重商主義である。輸入を抑え、輸出を増やすことがまずもっての要諦である。しかし愚にもつかない輸入品があった。コーヒーである」(臼井隆一郎著『コーヒーが廻り世界史が廻る』)。コーヒー生豆を購入するのに年間70万ターラー(当時の通貨単位)の大金がドイツからオランダに流出する事態を前に、コーヒーこそが貿易収支悪化の諸悪とみなされるようになった。

 

 コーヒー需要の拡大は、国内で生産されるビール消費量にも影響を及ぼすと、危機感を示したフリードリッヒ大王は1777年9月13日、「コーヒー禁止令」を発布。と同時に「ビール推奨令」を出し、コーヒーに重税を課す一方、国民に国産ビールの飲用を促したのだった。しかし、国民に親しまれたコーヒーだっただけに、愛好者が急減することにつながらなかった。そのため、フリードリッヒ大王はコーヒー焙煎を王室だけで行うとし、それ以外の焙煎を禁じるという手に打って出た。

 

 飲用を禁止されると、何とか飲めないものかと考えるのが人の常である。コーヒーの消費を抑えようとした政策のなかで成長したのが、代用コーヒー産業だ。コーヒーに代わる飲み物としてチコリ・コーヒーの需要が増加した。『コーヒーが廻り世界史が廻る』によると、軍人フォン・ハイネ少佐婦人が胆嚢を患っており、医者からチコリの根を煎じて飲むように勧められた。チコリは草で、葉をサラダにして食す。少佐婦人がその根を燻して飲用したところ、コーヒーに似た味がしたという。

 

 ハイネ夫妻は特許申請をして、チコリ・コーヒーの量産に入った。その後、材料として麦芽、大麦、ライ麦、無花果、南京豆、大豆、サトウキビ、ドングリなどのほか、海草まで用いられるようになったそうだ。コーヒー愛飲家たちの執念が結実したのだった。

 

 

在原次郎

 コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。