3日から千葉の幕張メッセで行われている「日本ものづくりワールド」において、特別講演を行った、ボーイング・ジャパン社長ウィル・シェイファー氏が、同社の歴史を振り返りながら、今後の航空業界の展望を語った。今回は同社の比類なき発展の歴史を重点的にみていきたい。

 

 ここからの解説は、シェイファー氏の話を交え、詳細に補足を行っていく。

 

 ボーイングは、1916年にシアトルで産声を上げた。創業当初は、主に麻と針金を用いた木製の航空郵便向けの航空機を製造し、後に1933年には、全面金属製の機体、そして旅客を乗せる航空機として、B-247が誕生する。(乗客10人乗り)

 

 

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(旅客向け、そして全面金属製を実現した、B-247だが、乗客が10人しか乗れないため、より大型のDC-3にシェアを奪われていく 写真:ウィキペデア)

 

 

 このB-247は登場当時、引き込み脚、低翼、単葉、そして巡航速度300kmという高性能で、各航空会社がこぞって導入した名機だが、その後1938年に誕生した、同社のライバル「ダグラス社」が開発したDC-3にシェアを取って変わられる。このDC-3は、1952年に後の日本航空が、ノースウェスト航空(現デルタ航空)の提供を受けて運航する「DC-4」の前の型である。

 

 その後同社は、民間航空機の他に、防衛部門でも頭角を現す。特に、第二次大戦中、同社の有名な防衛部門での機体は、第二次大戦中、欧州各地で猛威を振るった、「B-17」太平洋戦争で初めて日本本土を爆撃した「B-25」、そして大戦中「空飛ぶ要塞」として恐れられ、東京大空襲から広島、長崎への原爆投下までその任務を行った「B-29」、また、1955年から使用され、2021年現在まで60年以上たった今も現役である、超大型爆撃機「B-52」も同社が生んだ機体である。

 

 

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(下の施設のほとんどを占める機体がB-52。超長距離大型爆撃機だけあって、その巨大さが分かる。写真;2019年英国ダグスフォート博物館にて筆者撮影)

 

 

 大戦後、それまで航空会社に導入された旅客機がレシプロ機だった事に対し、ボーイングはジェット旅客機の開発を目指し、現在のジェット旅客機開発、販売につながる1958年にB-707が就航する。B―707のローンチカスタマーは、パン・アメリカン航空(以下パンナム)だが、その後1000機を超えるセールを記録する。

 

 

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(ボーイングとしては待望のジェット旅客機だった、B-707。写真:Wikipedia)

 

 

 同時期にはジェット旅客機は、「コンベア」社が開発した、「コンベア880」という機体があり、日本の航空会社では1961年に日本航空が導入しているが、導入された9機の内、1965年壱岐、66年羽田、69年モーゼスレイクで、全て訓練中だが事故で3機を失い、操縦性問題があったことを露呈し、日本航空では導入から9年で退役。総売り上げも65機しか売れなかった。

 

 その後コンベア880の後継として導入されたのが、B-707のライバルとなった、名機と名高いダグラス社の「DC-8」である。

 

 ボーイングは、その後、1963年に中距離用の「B-727」を開発、そして現在まで最もベストセラー機となった、短距離用旅客機「B-737」を開発する。

 

 同時期、同社が米軍の次期大型輸送機開発を「ロッキード社」と争い、結果ロッキード社に敗れるが、この敗れた新型航空機を旅客機に転用し、目を付けたパンナムがローンチとなり誕生したのが、航空機の象徴となった「ジャンボ」つまり、B-747である。世界の航空会社がこの巨大な航空機を導入し、現在に繋がる「格安旅行」を実現することとなる。

 

 747は、1970年の初就航を実現してから、シリーズ併せて1400機を売る大ベストセラー機となった。シェイファー氏は、この747の販売について、日本がお得意様だったことを語っているが、有名な話は、日本航空が単独の会社としては唯一、各シリーズ合わせて、100機を超える747を同社に発注、導入していたことが有名である。

 

 そして、この747の存在が、シェイファー氏が後に大ベストセラー機になると語る、B-777シリーズが誕生するきっかけの一つとなる。(ローンチ、ユナイテッド航空)

 

 

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(大ベストセラーとなり、787が誕生した現在でも受注が続くB-777。写真:Wikipedia)

 

 

 1995年に777は経年化した747シリーズの後継として各航空会社が導入し、さらに、4発エンジンから双発エンジンに転換し、整備費、燃料コストなど、4発エンジンと比べ効率性が格段に上がったことにより、ベストセラーに繋がった。ここで忘れてはならないのは「ETOPS」の存在である。

 

 ETOPSとは、太平洋上を飛行するとき、双発エンジンの場合、片側一機だけのエンジンで、2時間飛行が可能(ETOPS120)か3時間飛行(ETOPS180)可能であるという、ICAO(国際航空機関)が制定した安全認証である。これは一重にエンジンの信頼性の向上が可能にした認証であり、逆に4発エンジンが太平洋を飛行する場合は、制限がかからない。

 

 シェイファー氏もこの点について、同時期に、それまでの同社の最大のライバルであった、マクドネル・ダグラス社(1997年にボーイングに吸収合併)にとってかわり、A300シリーズ、A-330シリーズで、ボーイング社に対抗していた、エアバス社が頭角を現した当時、A―340シリーズという4発エンジンの航空機をラインナップに入れたが、結果思うような販売が無かったことを指摘している。

 

 

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(エアバス社は当初、太平洋飛行に制限がかからないという特性を持った4発エンジンの上記機体を開発したが、結果的には双発機にシェアを取られた。写真;Wikipedia)

 

 

 こうして、双発エンジン機の時代が到来し、好調な販売を続ける777シリーズを横目に、新たなコンセプトであるB-787を開発。複合材をふんだんに使った同機は、多くの航空会社が求める、燃費などの効率化を実現し、777に続いてこれも大ヒットとなった。

 

 同じ時期、ライバルエアバスが開発したのは、747を超える超大型旅客機、「A380」だったが、こちらは近年製造中止を発表し、ボーイング社の同時期の航空機に比べ、セールスも伸びなかった。

 

 シェイファー氏は

 「787製造にあたり、特に日本とは強力なパートナーシップを組んでいる。787では機体の35%を日本の部材を使い、また防衛部門では100%日本製部材だ。」と話し、同社にとって日本企業は、重要なパートナーであることを語った。

(次回に続く)

 

 

(文;金剛たけし)