日本人が本格的に肉食に目覚めたのは明治時代以降だ。当時、肉食を奨励した一人に慶応義塾創設者の福沢諭吉がいた。福沢は肉食を欠くと不摂生となり一国の損失と、国民に「肉食のすすめ」を説いている。(写真はyahoo画像から転載)

 

 安政6年(1859)7月1日、横浜が開港した。それに伴い、外国人の来日が増えるようになり、牛肉需要も増加する。文久2年(1862)、横浜入船町で居酒屋を営んでいた伊勢熊が牛鍋屋を開店したのが日本での牛肉店第一号というのが通説らしいが、幕末に京都三条河原町で日本最初のすき焼き屋がオープンしていたなど諸説ある。『食の文化史』(大塚滋著)によると、明治5年(1872)、明治天皇が宮中で初めて牛肉を試食し、国民の間にも広がっていったという。

 

 徳川15代の大半は、食卓から牛肉の姿が消え、庶民は専ら鶏肉を食していた。江戸以前、日本人は肉食もする民族であったが、幕府は牛や豚などの肉食を鎖国政策で禁止。一方、鶏肉を食べることを奨励し、オランダから良質な外国種を取り寄せるなど、鶏の飼育が広まったそうだ。

 

 江戸時代の基幹産業は米作だ。幕府はこれを日本人の主食として根付かせようとしたようで、作家の司馬遼太郎は、肉食によって悍威な日本人が増えるより、穀物を主食とする穏やかな日本人像を望んだとの見方を示している。また、畜生を殺すのは残酷だとか、殺傷することで土地が穢れるといった考え方も強かったため、肉食が庶民の間に広がることはなかったとされる。

 

 幕末から明治時代に入ると、文明開化とともに肉食が脚光を浴びるようになった。福沢諭吉が一役買う。『肉食之説(肉食の説)』で「今我国民肉食を欠いて不摂生を為し、其生力落す者すくなからず。即ち一国の損失なり」。福沢は『学問のすすめ』ならぬ「肉食のすすめ」を説いた。ただ、「牛馬会社の宣伝で書簡を寄せただけ」との指摘もある。

 

在原次郎

 コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。