洋の東西を問わず、コーヒー好きの文人は多い。フランスの思想家ボルテールや文豪バルザックは一日に何十杯ものコーヒーを飲んだとされている。日本では、寺田寅彦や歌人の斎藤茂吉らが有名だ。今回は、寺田寅彦の『コーヒー哲学序説』(小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集第四巻』所収)を取り上げる。(写真はyahoo画像から転載)

 

  寺田寅彦は、夏目漱石の門下生で名随筆家、そして物理学者としての才能も開花させた人物である。『コーヒー哲学序説』によると、寅彦が初めてコーヒーを口にしたのは八、九歳の頃だったようだ。医者の指示で牛乳を飲まされた際、それを飲みやすくするために少量のコーヒーを医者が配剤したという。寅彦は「すべてのエキゾティックなものに憧憬をもっていた子供心に、この南洋的西洋的な香気は未知の極楽郷から遠洋を渡って来た一脈の薫風のように感ぜられたもののようである」と振り返っている。

 

  その後、一旦さめた「コーヒーとの交渉」はドイツに留学することで再び目覚めることになる。寅彦、三十二歳の春だった。学業に専念する合間を縫って旧ベルリン市街の古めかしい街区を彷徨した寅彦は「コーヒーをちびちびなめながら淡い郷愁を瞞着するのが常習になってしまった」と回顧する。

 

  ドイツ滞在中、寅彦はいろいろな国々を旅行した。スカンジナビア半島の田舎を訪問した際、頑丈で分厚、たたきつけても割れそうにないコーヒー茶碗を見つけ、その茶碗でコーヒーの味覚に差異を感じるという事実を発見したという。ロシア人の発音するコーヒーが日本流によく似ていることを知ったとし、こうした体験から「国の社会層の深さが計られるような気がした」と記している。

 

  帰国してからも寅彦のコーヒー店詣出は続き、銀座に足繁く通った。特に「風月」という店のコーヒーを好んだようだ。店々によっていろいろな飲ませ方をすることに対し、寅彦は「コーヒーの出し方はたしかに一つの芸術である」と。また「コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい」との見解も示している。

 

  『コーヒー哲学序説』の初出は昭和八年二月、雑誌『経済往来』に掲載された。コーヒーの効能について寅彦は「宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ていると考えられる。酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。前者は信仰的主観的であるが、後者は懐疑的客観的だからかもしれない」と持論を披歴した。

 

  随筆の最後で「コーヒー漫筆がついついコーヒー哲学序説のようなものになってしまった」と結んでいる。コーヒー好きがここまで昂じると、もはや愛飲家の域を遥かに超えているとしかいいようがない。

 

 

在原次郎

 コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。