2021年は「アラブの春」10周年の節目である。アラブの春最大の悲劇であるシリア内戦も勃発から10年を数えることになった。内戦の政治的解決を困難にするのがトルコによるシリア領の占領である。トルコは2016年8月からイスラム国掃討を名目に北シリアへ侵攻し、初のシリア領の占領を開始した。当時クルド勢力がイスラム国(IS)、ユーフラテス川を渡り要衝マンビジュを占領しており、トルコはクルド勢力主導で北シリアが統一されることを危惧していた。そして2018年1月にはもはや本性を隠すことなくクルド勢力掃討を名目にアフリン侵攻を開始し、3月中に占領した。北シリア各地に展開する米軍はトルコのさらなる侵攻を阻んでいたが、トルコのエルドアン大統領はトランプ米大統領をロビー活動で籠絡し、米軍のシリア撤退を発表せしめるに至った。同年10月に満を持してユーフラテス川東岸地域に侵攻を開始し、セレカニエ(ラスルアイン)、ギレスピ(タルアブヤド))含む国境地帯を占領した。(写真はYahoo画像から引用)

 

トルコは北シリア侵攻、占領を安全保障上の理由としているが、占領政策の実態をみるとシリア領の併合を目的としていると言わざるをえない。トルコはアフリンにおいて、もはや本国でも行われていないクルド語弾圧を実施している。トルコはアフリンの傀儡政権にクルド語教育の縮小・廃止とトルコ教育を推進させている。同じくクルド語を弾圧して以来、アサド政権時代のアラビア語を復活させるだけならまだしも、シリアで不要なトルコ語教育も普及する目的は、占領を恒久化する意図以外の何物でもないとされる。さらにトルコのガジャンテプ大学は北シリアに分校を開くとの計画を発表している。トルコのシリア占領政策の本丸は経済侵略だ。トルコはクルド人農家が育てたオリーブを接収するという略奪行為を働いているとの疑惑が濃厚だ。それらはトルコ国内でオリーブオイルなどの製品に変わり、トルコ産のラベルを貼られ欧州始め世界各国へ輸出されているようだ。昨年、北シリアのアザーズにおいてトルコの現地傀儡政権がトルコリラ使用の通達を発したように、占領地の通貨をシリアポンドからトルコリラへの切り替えようとする動きも進める。トルコリラが紙切れに近づきつつある現状、実力でリラ経済圏を確立しようとしているように見える。トルコが昨今の暴走を開始したのは2015年9月のクルド労働者党(PKK)との和平交渉中止と戦闘再開、また2016年7月のクーデター騒動からである。ただ更に遡れば、トルコ経済は2010年代に低迷を始め、2013年のゲジ公園における反政府デモに象徴されるように、エルドアン大統領の国家私物化に起因する政治危機が表面化していた。北シリアにおけるトルコの軍事行動の目的を、エルドアン政権の反クルド的志向だけに求めると、その真意を見落とすことになる。

 

トルコの占領を好ましいと考える勢力はシリア反体制派以外にない。アサド政権はトルコのシリア領占領に激しく反発するという点で、クルド勢力と利害は一致する。実際、これまでクルド勢力の代表団がダマスカスを訪問しアサド政権側と交渉することはあった。しかし、米国が支援するクルド勢力と完全に手を結ぶことは難しい。クルド勢力はシリア最大の油田を支配下におき、米石油会社による石油掘削許可の可能性に激しく反発する。シリア国営通信は北シリアにおける反米・反クルドの機運を高めるため頻繁にアラブ系住民よるクルド勢力に対する抗議運動について報じてきた。クルド勢力もまた彼らを支持する部族をメディアに登場させ反アサドのメッセージを発表させている。アサド政権最大のスポンサーであるロシアはクルド勢力をトルコの防波堤となり結果的にアサド政権を助ける勢力として期待する。クルド勢力にとってもロシアはアメリカを揺さぶるために利用価値のあるプレイヤーである。クルド勢力は一昨年のトルコによる北シリア侵攻の際、ロシアに支援を仰いだことで距離は近くなった。ロシアもまた米軍のシリア駐留と油田管理を受け入れ難いことには変わりないが、中東における自国のプレゼンスを高めるためクルド勢力と関係を維持しアサド政権とのハブであり続けるだろう。

 

米ロはトルコの野望にどう対処するか。米国がバイデン新政権となり、イスラム国根絶とその背後にいるトルコの拡張主義に対抗するためロシアと部分的に協力していけるかが焦点だ。シリアにおいて米ロ両軍は共通の敵に立ち向かっているにもかかわらず、緊張状態にある。ロシア軍が展開する地域と米国軍が展開する地域はこれまで交わることはなかったが、前述の通り、一昨年のトルコ軍による北シリア侵攻の際、クルド勢力はトルコの侵攻を止めるためロシア軍の入域を許した。それ以来、米国軍が北シリアでパトロールするロシア軍を止める、また接触し米兵に負傷者が出るといった事件に事欠かない。米ロ両軍とも偶発的衝突を防ぐため、12日に両軍参謀総長クラスが電話会談を行った。突如シリアから米軍撤退を発表しトルコの侵攻を招いた独断専行型のトランプ大統領がホワイトハウスを去り、専門家の助言に耳を傾けるバイデン氏が次期大統領に就任することで、米国はシリア問題への関与を再開するだろう。オバマ政権後期のジョン・ケリー国務長官が推進したロシアとの協調政策に回帰することが、トルコへの圧力となりシリア内戦の終結につながる。

 

Roni Namo

 東京在住の民族問題ライター。大学在学中にクルド問題に出会って以来、クルド人を中心に少数民族の政治運動の取材、分析を続ける。クルド人よりクルド語(クルマンジ)の手ほどきを受け、恐らく日本で唯一クルドを使える日本人になる。今年7月に日本の小説のクルド語への翻訳を完了(未出版)。現在はアラビア語学習に注力中。ペルシャ語、トルコ語についても学習経験あり。多言語ジャーナリストを目指し修行中。