万有引力の法則を発見するなど近代物理学の祖とされた英国のアイザック・ニュートン。天才でも予測不能なことがあった。市場での銀貨の金貨に対する相対的価値を見誤り、結果的に英国を金本位制に移行させた張本人となった。(画像はyahoo画像から転載)

 

  ケンブリッジ大学で物理学や数学の学究の徒であったニュートンだったが、1696年3月に転機が訪れた。友人のチャールズ・モンターギュ蔵相から造幣局監事にならないかと打診され、そのポストに就く決心を固めた。造幣局では、1日16時間の長時間労働をこなす一方、経済学の勉強にも取り組んだ。偽金づくりの撲滅に全力を挙げ、ニュートンの在職中に激減したという。そして1699年12月、念願の造幣局長官に就任する。

 

  英国では当時、日常的に使用される貨幣は銀貨で、ポンドの基準単位だった。他方、1695年から翌年の大改鋳でギニー金貨が高騰。そのため、政府は金と銀の値打ちがかけ離れることを食い止め、金貨の市場価格を抑えようとする。

 

  政府の諮問に対し、造幣局長官に就任していたニュートンは、1ギニー金貨=21シリング銀貨が妥当であると勧告。金と銀の交換比率を量換算で1対15.21と決めた。いわゆる「ニュートン比価」と呼ばれるものである。大蔵省は1717年12月、これを声明として発表した。

 

  しかし、結果はニュートンが予想した通りにならず、金の輸入と銀の輸出に歯止めがかからなかった。それどころか、規定の重量を保つ銀貨は流通さえしなくなる状況に陥った。メキシコなど南米諸国で大量に産出された銀がヨーロッパに流れ込むと同時に、金の需要が拡大するなど市場の構造変化が現れるようになる。銀貨が溶かされ、金貨と交換されるという事態に発展するなど、英国が金本位制に移行する契機となってしまった。

 

  ピーター・バーンスタイン氏は著書『ゴールド 金と人間の文明史』で、天才ニュートンについて、次のように言及した。

 

  「ニュートンは国策のもととなる経済予測に需要と供給の法則を採用した史上初の公僕であり、その大胆さはヒーローと呼ばれるにふさわしい。だが、やはり彼はアンチ・ヒーローだった。なぜなら、ニュートンに始まった伝統は、このあとの歴史にもずっとつきまとうからである。すなわち、政策決定者による経済予測はかならずあとで間違っていたとわかるのだ!ニュートンはリンゴの動きこそ正確に予測したが、金の価格の動きは予測できなかったのである」。

 

 

(在原次郎)

 コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。